中日・吉見が「天才」と認める男・中田賢一、活躍の訳=鷹詞〜たかことば〜

田尻耕太郎

FA移籍1年目の投手として史上初の快挙

史上初となる移籍初登板から5戦5勝を達成したソフトバンク・中田。なぜ新天地で活躍できるのだろうか? 【写真は共同】

 日本プロ野球にフリーエージェント(FA)制が導入されて20年以上が過ぎ、延べ27人の投手が国内移籍を果たしてきた。その中の1人が、昨オフに権利を行使して中日から福岡ソフトバンクにやって来た中田賢一。その右腕が名のある先人たちですら誰も成し得なかった史上初の快挙を達成したのである。

 先発の柱となっている。開幕2戦目の3月29日、千葉ロッテ戦(ヤフオクドーム)を6回2失点(自責1)でまとめて移籍後初登板を白星で飾ると、その後も東北楽天、オリックス、またもロッテ、埼玉西武を次々と撃破。開幕から5試合に登板して5勝0敗、防御率2.18(5月2日現在)と最高の開幕ダッシュを決めた。FA移籍1年目の投手が移籍初登板から4戦4勝以上したのは中田が初めてだった(95年の工藤公康は移籍2試合目から6連勝を記録)。

 もはや下馬評以上と言っていいだろう。中日時代は「力はあるが……」と言われ続けた投手。07年に14勝を挙げた実績はあるが、2桁勝利はその1度きりだった。昨シーズンは先発で11試合、中継ぎで29試合に登板。結局どっちつかずの起用でわずか4勝に終わっている。
 なぜ、中田が新天地でこれほどの活躍ができているのか。その理由を探ると、いくつかの答えが浮かび上がってきた。

活躍のキーワード、ひとつは「北九州」

 キーワードは、2つある。
 まずは「北九州」だ。中田の出身地で、今も実家がある。昨オフにFA宣言した際、金銭補償も人的補償も発生しない「Cランク」だった中田にはソフトバンク以外に阪神、東京ヤクルトからも誘いの声が掛かった。それでも当初からソフトバンク優勢が伝えられたのは「地元志向」で、しかも実家に1人で暮らす母親のそばにいてあげたいからという報道が先行した。それも大きな理由の1つである。
 だが、中田にはそれよりも大切なことがあった。
「母親のことは気になりますが、周りには親戚もたくさんいますからね。じつは、北九州には大学時代(北九州市立大)から僕の体を診てくださっている方がいるんです。その人の存在が僕には大きかった」

 この5月で32歳を迎える。「1年でも長く」との思いはトシを重ねるごとに強くなり、現実味も増してくる。
「もちろん中日でもソフトバンクでも球団のトレーナーの方々にも体のケアはしてもらっています。ただ、もう10数年来のお付き合いで僕の体を知り尽くしている方なのですべてを委ねることができる。中日時代は年末から1カ月間ほどしっかりケアしてもらえましたが、シーズン中は広島遠征の時に何とか足を延ばすくらいでした。年間5、6回だったと思います。それがソフトバンクに移籍したことで基本的に週1回。遠征先から福岡に戻ったら、自宅に帰らず北九州に行って体をみてもらい、そのまま実家に泊まるということもありますよ」
 不安を取り除き、心をクリアにしてマウンドに臨める。そして常に安心感がある。「それはすごく大きいんです」と中田はうなずいた。

「金子千尋さんとダブる」中田のマイペースな性格

 もう一つは「マイペースな性格」である。
 中田の前に、FA移籍1年目の移籍初登板からの連戦連勝記録を持っていたのが、08年にヤクルトから西武に加入した石井一久だった。あ、なるほどと思った。
 中田もじつは結構マイペースな男である。中日時代の後輩である吉見一起にそれを話すと、彼も納得したようにこう話した。
「周りに流されないところはありましたね。トレーニングも黙々、コツコツとやるタイプだし、物事に左右されない人。天才かも。僕のイメージではトヨタ自動車時代の先輩、オリックスの金子千尋さんとダブるんですよね。正直、投手としての能力は僕なんかよりもスゴイと思います」

 そして、中田自身にもそのキーワードをぶつけてみたところ、「たしかに、我関せずの性格かもしれませんね」とケラケラ笑った。今春のキャンプでも「FA移籍のプレッシャーは?」といろいろな人に何度も聞かれた。そのたびに「特にない」と答えた。本拠地初登板も「妙な緊張は特になかった」と振り返る。しかし、実際には初回の先頭打者にいきなり四球を与えてバタついた。「そう考えると緊張していたのかもしれませんね」と余裕で笑い飛ばす。その姿を見る限り、キャンプの時の言葉には偽りはなさそうだ。

 開幕1カ月で5勝もすれば、見る側はぜいたくなものでノルマが2桁勝利では物足りなくなってしまう。自身最多の14勝超え――いや、もっと。鷹党からはそんな声も聞こえてくる。
「いやー、あまり先のことばかりを見ても良いことはないです。今までやってきてよく分かっていますから(苦笑)。1つ1つの試合、もっと言えば1球、1球を大切にやっていくだけです」
 安易なおだてには乗らない。ただとにかく、自分の描く道を着実に進んでいくつもりだ。
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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