モイーズ解任……崩れ去った誇り高き伝統 クラブと指揮官の間に生じていたギャップ

東本貢司

首をかしげざるを得ない人事

ユナイテッド失墜の予兆はファーガソン(右奥)の勇退宣言より1か月早いジルCEO辞任のから芽生えていた。後任のウッドワード(手前左)は力不足で補強がうまく進まなかった 【Getty Images】

 デイヴィッド・モイーズ、あるいはモイーズ・ユナイテッドの蹉跌(さてつ)、それは、ファーガソンの突然の勇退宣言よりも約1か月早い「デイヴィッド・ジルのCEO(最高経営責任者)辞任」から、その兆しが芽生えていた(このことは、昨年夏のオフが始まった時点で、何度か機会を得て「危惧すべき要因」と指摘してきた)。

 ご存じの通り、2013年夏の移籍解禁期間、ユナイテッドの補強作戦は遅々として実を結ばず、不可解な“陰謀説”(詳細はあえてここでは省略)もあって、結局「締め切り間際のマルーアン・フェライニ獲得」のみに終わっている。そのとき、コアなユナイテッドファンの間で「ジルの不在と後任のエド・ウッドワードの力不足」を嘆く声が多かったのは知る人ぞ知る事実だ。「ジルがいたら、その全権が移籍市場に乗り込めば、アルカンターラも、ベインズも、いや、ファブレガス獲得も夢で終わらなかったかもしれない」。

 無論“感傷”の類である。だが、人脈も信望も経験も浅いウッドワードでは、寝技どころかごく普通の駆け引きすら、不発続きだったことは想像に余りある。

 もう一つ、モイーズ就任に伴ってコーチ陣の刷新も行われたが、ここでも首をかしげざるを得ない人事が行われた。コーチは新監督が選ぶもの、当然だ、と考える向きは、およそ事情に無知か、まったく読み違えている。

 86年のファーガソン就任時、ユナイテッドは財政・戦力などあらゆる点で、事実上のどん底にあった。しかるべくオーバーホールされる運命、もとい、必要性が急務だった。それでも、スコットランドの辺境アバディーンからやってきたファーガソンは、腹心のコーチ数名を帯同こそすれ、運営面の核となる人事はクラブにお任せで口を出さなかった……。

 ところが今回の場合、プレーヤーを経てユースコーチ時代から、サー・アレックスの手足となってその薫陶に与り、ある意味で至高の相談役となり得たはずのマイク・ウィーランら重鎮のコーチ陣を、なぜかクラブは切った。引き続き、名誉待遇で居残るファーガソンと運命を共にして、ではない。文字通り、追われたのだ。これに関しては、筆者もいまだに腑に落ちない。仮にモイーズの強い意向があったとしても、クラブ(ファーガソン)は頑として踏みとどまるべきだった。

一刻も早く傷を修復しなければならない

 もうおわかりだと思う。今や世界に冠たるフットボールブランドとして業界では知らぬ者のない「プレミアリーグ・ディフェンディングチャンピオン」のユナイテッドが恐れるものがあるとすれば、それは「ブランド価値を下げ、上場株価を下げてしまう瑕疵(かし)」だ。

 おそらく、上層部、より具体的に、オーナーのグレイザー一族は考えたのだろう。この際、ファーガソン色を一掃して「新時代を開く顔としてのデイヴィッド・モイーズ」を世界に向けて華々しく喧伝し、より高度で揺るぎない「市場独占システム」を築こう、と。

 そのためには、うるさ方のジルやファーギー子飼いの古顔コーチに引き続き居座ってもらっては、グランドプランがそれこそ絵に描いた餅になってしまう。狭いフットボール世界だけの話ならいざ知らず、“グローバル市場”は納得するまい。そして、彼らは彼らなりの「ビジネス感覚」に悦に入っていた。これなら、降って沸いたような法外な資金源を手に入れたチェルシー、マン・シティーや“新興”のパリ・サンジェルマンとて、簡単には追いつけまい。ユナイテッドは今以上に世界を制するのだ!

 これはあくまでも憶測だが、勝手に辞めると言ったファーガソンには「一切口を出さないお飾りの存在意義」を、引き換え条件として強引に呑ませたのではないだろうか。「あなたの仕事は、モイーズをつかまえてくれたことで事実上完了したんですからね」。

 だが、そのビジネス拡大戦略は、思わぬ成績不振で瓦解した。もはや、情緒的な“伝統や誇り”が通じる時代ではない、一刻も早く傷を修復しなければならない……。

仮にどんな大物指導者がやってきても

 あえて、ここはそれも一つの道だと評価してみよう。たぶん、この夏の市場でユナイテッドの誘いにほいほいと乗ってくる戦力の補強は望めそうにない(すでに、クロース、ロイスら、ターゲット候補といわれる数名の否定的、消極的コメントが届いている)。いや、このままでは、処遇に不満をかこつウェルベック、香川真司どころか、ファン・ペルシー、ルーニーまでぐずぐず言いかねない。(なお、香川の将来はモイーズ解任で“白紙”に戻ったと見る。個人的には、せっかく稀有な名門でプレーする名誉を得たからには、ここで踏みとどまってほしい。彼は今、偉大なプレーヤーとして名を残すかどうかの重大な岐路に立っている……)

 だとしても、ユナイテッドというクラブの「独自性」、ひた走るあられもない商業主義に抵抗する最後の砦となり得る「芯」に期待する者としては「もう一つの道」に頑としてこだわってほしかった。それがたとえ、向こう数年の雌伏を余儀なくさせるものであっても。あえて建言する。結果的にこの事態を招いたのは、あなたがたグレーザー家の人々ではなかったか。「モイーズというシンボル」を担ぎ上げ、そのくせ、そのカリスマと将来性が花開く余地をのっけから削り落とし、細工はりゅうりゅうと“のほほん”としてとしていたのは?

 そこに「ギャップ」があった。偉大なファーガソン自ら、直接「後を任されて」意気に感じた、ただそれだけだったはずのモイーズとのギャップ――。ならば、確かに修復されねばならない。が、その“ツケ”は、仮にどんな大物指導者がやってきて一見修復が成ったとしても、いずれ予想だにしないレベルで今後に禍根を残すだろう。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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