福島UとJヴィレッジに見る震災3年 改めて考える日本サッカーの「3.11」

宇都宮徹壱

巨大な駐車場と宿泊施設でうめつくされたJヴィレッジ

Jヴィレッジの11面あるピッチは、1600台が収容できる駐車場に転用されていた 【宇都宮徹壱】

 地域リーグからJFLを経てJ3に到達した、福島ユナイテッドの歩みを見ていると、今さらながらに震災からの3年という月日の移ろいを実感せずにはいられない。その一方で被災地の中には、今なお3年前から時間が止まってしまっている地域も確実に存在する。先月28日、福島県楢葉町のJヴィレッジを5年ぶりに訪れたとき、その思いを新たにした。日本初のサッカー専用ナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジは、震災直後に発生した原発事故以降は国の管轄下となり、今も1F(イチエフ=福島第一原発)の事故処理の前線基地となっている。

 敷地内に入ってまず驚いたのは、11面あった天然芝のピッチが、いずれも駐車場に変わっていたことである。大部分は砂利が敷き詰められた状態であったが、分厚い鉄板やアスファルトで覆われたコートもあり、かつてそこで青々とした滑らかなピッチが存在していたことを想像するのは難しい。現在、Jヴィレッジだけで1600台の車両を収容できるという。原発作業員は、早朝に車でやってきて、ここからバスに乗り込んで1Fに向かう。一方、静岡の時之栖(ときのすみか)に一時移転したJFAアカデミー福島の専用練習場や、かつてはなでしこリーグのTEPCOマリーゼがホームゲームを行っていたJヴィレッジスタジアムは、いずれもコートの上にプレハブ住宅が作られ、今は東電社員の単身寮となっている。現在はおよそ1100人が使用しているそうだ。

 これほど広大な駐車場や、1000人単位の宿泊施設の建設、さらには資材の搬入・搬出を可能にしたJヴィレッジの存在は、事故後の復旧作業を考えれば不可欠なものであった。もちろん「いずれは元の管理者であるJFA(日本サッカー協会)に返還しなければならない」という認識は東電側にもあっただろうが、なかなか容易でないというのが一般的な認識であった。それだけに昨年11月、「Jヴィレッジを2018年にサッカー施設として再開させる」との報道に接して、そのあまりの急展開を訝しく思ったものである。私の疑念に対して、取材に応じてくれた東電の担当者は、このように説明する。

「私どもは1Fに関する損害賠償や除染の迅速化を目的として、昨年1月1日に福島復興本社というものを立ち上げました。その中には、JFAさんからお借りしているJヴィレッジを元通りの形でお返しする、という仕事も含まれています。今回、2020年の東京五輪開催も決まったということで、福島でも関連したさまざまな取り組みがなされることでしょう。ただ、芝生の養生に1年半から2年はかかるということで、18年という具体的な目標が出てきたと理解しております」

2018年のJヴィレッジ再開は本当に可能なのか?

Jヴィレッジスタジアムのピッチに建てられた単身者の宿泊施設。周囲は雑草が伸び放題 【宇都宮徹壱】

 いちサッカーファンとして考えるなら、Jヴィレッジの再開そのものはこれ以上ないグッドニュースである。が、本当に18年までにそれが可能だのだろうか? 一口で「元通りにする」と言っても、単に天然芝を養生するだけでなく、駐車場や宿泊施設などの移転先の確保、さらには施設内での除染作業など、気の遠くなるような作業量と予算を必要とするのは間違いないだろう。しかし、具体的なロードマップはまだ描ききれていないようで、担当者は「その点に関しましての調整はこれからですね」と「お借りしているものですから、お返ししないと」を繰り返すばかり。結局のところ、東京五輪というメガイベントの開催から逆算したという以外、「Jヴィレッジの18年再開」に関して、現時点ではほとんど説得力が感じられないというのが正直なところである。

 Jヴィレッジの再開に合わせて、アカデミーも福島に戻すといううわさも耳にしている。もともとJヴィレッジとアカデミーが、分かちがたいプロジェクトであったことは理解している。また、アカデミーが戻ってくることで、地域住民が復興を肌で感じられるというメリットもあるだろう。とはいえ、1Fの今後どうなるか不透明な現状で(廃炉まで40年はかかると言われている)子供を送り出す親の心情は複雑だろう。アカデミーの高校生を受け入れていた福島県立富岡高校は、周囲が「居住制限区域」となっているため、無人の状態で固く門が閉ざされていた。JR富岡駅は津波で駅舎が破壊されたままの状態となっており、廃墟となった駅前商店街には野生化した家畜が跋扈(ばっこ)している。まさに、3年前から時間が止まっているかのような状況。そうした環境下で、日本サッカー界の宝となるような少年少女を生活させることに、格別の意義を見いだすのは難しい。

 あの未曾有の震災から3年が経過したが、復興の度合いは地域によってさまざまである。「福島のサッカー」に限定してみても、福島ユナイテッドとJヴィレッジとの間には明らかなコントラストがあるが、どちらも震災から3年後の現実である。西が丘で行われたJ3の開幕戦では、キックオフ前に震災の犠牲者への黙祷が捧げられた。こうした光景はおそらく今後10年は続けられることだろうし、そうあるべきだとも思う。とはいえ被災地のことを想うのは、決して「3.11」だけではない。「それでもサッカーは続いていく」という至言があるが、被災地で暮らす仲間たちとの紐帯(ちゅうたい)もまた、続いていくのである。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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