ルール変更と日本ジャンプ陣の16年 長野五輪後の低迷を経て復活へ

折山淑美

日本ジャンプ陣は今大会、長野五輪以来のメダルを狙う。伊東大貴(左)と竹内択は大ジャンプを見せられるか 【写真は共同】

 ワールドカップ(W杯)開幕からの好調を維持し、1月11日のオーストリア・バートミッテルンドルフ大会フライングヒルでは41歳7カ月の史上最年長優勝を果たして勢いに乗る葛西紀明(土屋ホーム)に対し、疲労で少し調子を落とし気味だった伊東大貴(雪印メグミルク)や、喘息(ぜんそく)から肺炎を併発して病院からのソチ出発となってしまった竹内択(北野建設)。彼らがどのくらいの時間で調子を取り戻して本番に臨めるかが、ソチ五輪直前の日本チームの課題だった。

 それでも今大会は、金2、銀1、銅1を獲得した1998年長野五輪以来、4大会ぶりに、チームとして手応えを感じながら臨める五輪になったと言える。
 長野五輪から16年。日本が低迷期を経て、復活するまでの流れを追ってみよう。

長野後、相次ぐルール変更に対応の遅れ

 長野五輪後の98−99シーズン、スキー板の長さが身長の146%となった時は「日本たたきのルール変更」と言われた。しかし、実際に影響を受けたのはスキー板の長さが4センチ短くなった岡部孝信など身長の低い選手たちのみだった。W杯では葛西が6勝、船木和喜が3勝、宮平秀治が1勝を記録。他にもチーム全体では2位10回、3位18回とたびたび表彰台に上がり、世界選手権でもノーマルヒルで表彰台独占、ラージヒルは宮平が3位、ラージヒル団体でも2位という成績を残していた。

 だが翌シーズン、それまでより長いスキー板を使えるようになった長身選手が、空中での操作技術を向上させてきたのをきっかけに、少しずつ日本勢は苦しくなる。さらに2000年夏からはジャンプスーツが身体サイズの+10センチまでとルール化され、2シーズンごとに+8センチ、+6センチとジャンプスーツが小さくなっていく流れが生まれた際には、スーツの開発に力を入れ始めたヨーロッパ各国に対し、日本は乗り遅れて後手に回ってしまった。

 その後は、長身選手がさらに浮力を得ようと極端な減量を始めたのを見て、選手に減量命じるなど、各国の情報に振り回されるようになり混迷を深めた。04−05シーズンには極端な減量を懸念した国際スキー連盟がBMIルールを定めている。ジャンプスーツとシューズを合わせた合計体重(キロ単位)÷身長(メートル単位)の2乗でBMI数値を算出し、それが20.00以上ならば、身長の146%という上限の長さのスキー板を使用できる。しかし20.00を0.125下回るごとに、長さを0.5%ずつ減らされるというルールが実施された。

 陸続きのヨーロッパ各国の選手と違い、日本人選手は長距離移動がある上に、食事も違う。長期間の遠征の中で選手たちは体重が減量しがちだ。それを維持するために神経質になってしまうことで、選手たちの集中力は散漫になり、結果が出せないという状況に陥ってしまった。

スーツの縮小が復活へのきっかけ

 だが、そんな悪循環が解消されたのは、12−13シーズンだった。春先にはジャンプスーツのルールが、身体サイズ+6センチから一気に+0センチになった。これまでより助走スピードは上がるものの、空中で身体に受ける浮力は極端に減少する。踏み切りでのパワーが重要になるのだ。

 日本チームは05−06シーズンにヘッドコーチに就任したフィンランド人のカリ・ユリアンティラの方針もあって、パワージャンプを徹底する意識が高められていた。その効果が徐々に出ていたこともあり、サマーグランプリでは高校を卒業したばかりの清水礼留飛(雪印メグミルク)が初優勝を遂げる。また長らく低迷していた渡瀬雄太(雪印メグミルク)が上位に入り、竹内も優勝。総合ランキングでも竹内の3位を筆頭に、清水と渡瀬が10位に入る成績を残した。

 冬シーズンになると+0センチは「スーツの消耗が激しすぎるから」と+2センチに変更されたが、それまでの+6センチに比べると細工をする部分が減った。日本チームは横川朝治ヘッドコーチらがカッティングなどの開発に力を入れていたが、各国のスーツ開発もジャンプ週間(年末年始の8日間)が過ぎたころにはある程度鎮静化。その中で日本勢は竹内が第20戦で2位、伊東が第24戦で2位、第25戦3位と、表彰台に上がり出したのだ。

 葛西は「ジャンプ週間の時に使った新しいカッティングのスーツが良くなかったので、たまたまあった開幕戦のころの古いスーツを使ってみたら、いきなり飛距離が5メートルも伸びた。これまで負けている時は『自分たちの技術が劣っているのでは』と不安になっていたけど、あれで『自分たちの技術は通用する。今まではスーツにやられていたんだ』と気がつきました」と言うのだ。

 スーツサイズに関するルールも、今季は+2センチはそのままで、「尻周りの部分が前後同じサイズになること」という条件が追加されただけ。横川コーチは「細工できる可能性が少なくなればなるほど自分たちはうれしい」と話す。選手たちが自分たちの技術に自信を持って臨めていることが、今の好調の源になっている。

 まだ不完全とはいえ、スキージャンプはウインドファクター(風の条件による得点)やゲートファクター(スタート地点による得点)のルールもあって、以前より平等性が保たれるようになった。ソチ五輪は、日本の真の実力を問われる大会にもなる。

<了>
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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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