高梨沙羅“最長不倒ジャンプ”の原点=恐怖を克服、理想の飛行型は小学生時代に

高野祐太

合理的かつ洗練された理想の踏み切り動作

直前の公式練習でも100m超えのジャンプを連発 【写真は共同】

 けれども、ヘンドリクソンがいかにすごい選手だろうと、高梨は負けていない。まれにみる向上心の原点については以前に触れたが、その結果手にした技術は、152センチ、43キロという小柄な体の不利を補って余りある合理的かつ洗練されたものなのだ。最大のポイントは踏み切り(=テイクオフ、サッツ)動作にあるという。助走姿勢のときのかかとと膝を結ぶ線の地面に対する角度をできるだけ後ろに戻さず(上体を起こさず)、上体を前方に素早く投げ出すのが理想の1つとされるのだが、高梨はそれを見事に実現しているのだ。

 日の丸飛行隊のメンバーとして1972年札幌五輪の90メートル級に出場した板垣宏志さんは「現場で見ているわけではないし、V字ジャンプの時代のことは正確でないが、経験者だから分かることがある」と前置きした上で、感嘆してこう話す。
「あのテイクオフはすごい。あれをやっている選手は男子でもなかなかいないですよ。膝の(向く)角度が起きないで、あれだけの低い角度で出て、出た時にはもう(空中姿勢が)出来上がっているというのは、子供のときに覚えたことでないと、大人になったからでは恐怖心が働いてできない。だから小さいときに、あの体勢を覚えてしまったというか、会得してしまったのでしょう。どういうふうに教えたものかわかんないですけど、すごいね」

 そういう踏み切りが合理的なのは、助走スピードを無駄なく最大限に空中での推進力に生かせて、空中姿勢への移行時に受ける空気抵抗を少なくできるからだと言う。
「飛行曲線を最大利用できる方向に出て行くはずなんです。ただそれも踏み切りのタイミングが合っていなければならない。膝が起きない、上体が起きない、的確なタイミングという3つが全部1つになっていないとだめなんだけど、彼女が成功しているときは全部が合っている。一番ロスがない。だから、彼女がいいジャンプをしているときは空中でなんにもすることがないはずです。黙っていても最長不倒を飛んでしまうというジャンプのはずです。まだまだ進化するんでないかな」

小学生時代から飛んでいた“危ないジャンプ”

 板垣さんが推測した通り、恐怖心を克服した前方に体を投げ出すジャンプは、子供時代に繰り返した練習に秘密があった。関係者が言う。
「夏の間の練習が大事でした。まず、自宅敷地内に作ったローラースキー用のミニジャンプ台で納得するまで飛んだこと。そして、体育館の舞台部分にさらに跳び箱を乗せて、(大げさに言えば)天井くらいの高さからマット目掛けてうつぶせに飛び降りるんです。中には顔を打って鼻血を出す子もいて、『親は見ない方がいい』と言っていたくらいの練習なんです(笑)」

 そんな独創的な練習によって、一級品のジャンプは着実に身に付いていった。別の関係者が振り返る。
「沙羅ちゃんが小学3年くらいのときに、札幌の荒井山(ジュニア用の小規模のジャンプ台)の20メートル級の台がサマージャンプ対応になって、彼女もよく練習に来て飛び始めたんです。そのときに見せた彼女のジャンプは私なんかが見ていると危なかった。一度『初めてやる子にあんな飛び方をさせたらいずれけがをするぞ』と言ったことがあるくらいです」

 危ないとはどういうことか。関係者が続ける。
「沙羅ちゃんは膝の戻りが最初から少なくて、空中での前傾姿勢がスパンとできていた。だけどそれは、20メートル程度の小さな台では空中で浮力をもらうまでにならないから、スキーの先が下がって行く。沙羅ちゃんみたいに突っ込めば、下手をすると頭から転倒してしまうわけ。だから、子供のジャンパーは普通はどうしても膝の角度を戻してしまう。体を前に投げ出さなきゃいけないというのはやっぱり怖いんだよね」

「あのテイクオフをすれば……」

 それなのに、当時からそんな危険と隣合わせの飛び方をしていたのは、「浮力をもらえる大きな台で飛ぶ将来に、早くから備えていたからだろう」と言葉を継いだ。

「きっと父親の寛也くんが、目の前の勝利よりも、より前の方向に腰を乗せて行って、早く空中姿勢を作る飛び方をしていた方が将来につながると、教えていたんだろうね。(ミディアムヒルの)宮の森で行われた女子の国際大会で小学生の沙羅ちゃんが初めてテストジャンプを飛んだとき、体に染み付いたそのジャンプでいきなり80メートル以上飛んでしまったときはびっくりしたものですよ」

 この関係者は、もう1つ高梨の優れた点を指摘してくれた。これも恐怖心の克服や力みのなさに関係するのかもしれない。
「あと、空中での表情が普段とまったく変わらないことにも驚かされます。普通は男子でも力んだり、口が開いたりするものなんだけどね」

 勝負は時の運だし、特にスキージャンプは風などの自然条件にパフォーマンスが大きく左右される。ライバルとの対決の結果は金かもしれないし、そうでないかもしれない。けれど、高梨なら14年2月のソチで確かな一歩を踏みしめるに違いない。板垣さんがこんな心強い言葉をくれた。
「まともに行けば、あのテイクオフをすれば勝てるでしょうね」

<了>

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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