葛西紀明、親友が語る“レジェンド”の素顔

高野祐太

今大会は日本選手団主将という大役も担う 【写真は共同】

 葛西の家庭は決して裕福ではなく、妹が血液の難しい病気を抱えていた。だが、そういう苦労を自分から友人に打ち明けることはなかった。
「だから彼のハングリー精神は他人の3倍も4倍もあったんじゃないでしょうか。だけど、苦しいことや弱音は一切吐かないんです。楽しいことはパーッとしゃべるのに自分のマイナスの部分を表に出そうとしない。妹の病気のことは新聞で知って、『妹が病気なの?』と聞くと『そうなんだ』とは答えるのですが、それ以上は聞いてくれるな、という雰囲気を出していました」

 そういう姿勢は、練習の面でもそうだった。飄々(ひょうひょう)としていて、実は陰で努力を惜しまない。というよりも、「努力を努力と思っていない」。親友は、葛西が実行する努力の要点を「自立」「ギャップが大きい」「天性」「趣味」などの言葉で表現してくれた。

「練習の取り組み方が普通じゃなかったです。監督や先輩に言われてやるのではなく、自分で自分を追い込んでいました。自分で練習することを知っていた。ある種、天性みたいな感じです。普段の生活のあっけらかんとした雰囲気と比べたらギャップが大きくて、練習になったらまったく別の人間ですよ。
 メニューも、あいつなりに工夫していたと思います。監督などから情報を仕入れ、それを自分の中に落とし込んで。そのころから練習に対して自立していたと思いますね。部活の全体練習はあるんですが、その後がメーンというように。走ってすぐに自転車とか激しいことをやっていました。
 そういうところは、今も変わっていないですよね。多分、トレーニングを苦しいと思っていないんですよ。趣味です、完全に趣味です。でないと、この年齢までできないです。楽しいんですよ。自立型人間みたいなところが元々あって、そこが普通の人と唯一違うところじゃないでしょうか。そこがスポーツ選手にとって一番大事だと思います」

 葛西のジャンプとの向き合い方は、歯を食いしばって頑張る、というのではなく、精進することが喜びであるようだ。この辺りが、まさに葛西をこの年齢まで競技を続けさせ、“レジェンド”たらしめている秘密なのだろう。

逆境を乗り越え五輪の舞台へ

 だが、そんな葛西に試練のときが訪れる。リレハンメル五輪の次の94-95年シーズン、2度に渡る転倒で鎖骨を骨折した。それをきっかけに調子を落としていくことになる。
 そのとき親友は、過去にも何度か聞いたことのあった「あんな高いところから飛び降りるのって怖くないの?」という質問を再びぶつけてみた。すると、今までは「全然怖くない」としか言わなかったのに、このときだけは、「うん、怖えー。本当に怖い」と答えたのだという。

「彼の弱音を聞いたのは、後にも先にもあの時だけでしたから驚きました。よっぽど自信をなくす出来事だったんでしょう」

 しかも、このころ追い打ちを掛けるように悲劇が忍び寄っていた。母親の幸子さんが火事に遭ったことがもとになって2年後に他界してしまったのだ。それでも周囲に悲しそうな顔をすることはなかったと言う。

「それでも決して弱みを見せなくて、平気な顔をしているんですけど、すごくつらかったと思います。『早くおはらいに行け』と冗談ぽく言った記憶があります。友だちとして楽しい雰囲気を作ってやるくらいしか僕にできることはありませんでしたから」

 以前、葛西は「僕が金メダルを取れば妹の病気が治るような気がする」と語ったこともある。これまでのアスリートとしての生き方を照らし合わせれば、最後の最後で葛西を支えているのは、家族への思いであるに違いない。

 葛西はクラシカルスタイルからV字ジャンプへの移行、たび重なるルール変更、2度に渡る所属チームの消滅などさまざまな苦労も乗り越えてきた。鬼門とも言える五輪舞台だが、7回目にして大きなことをやってくれる期待感は高まる。ずっと見守ってきた立場から、親友がこんなことを語ってくれた。

「実はあいつは気の小さいところがあるんです。これまでは緊張し過ぎてしまって、微妙なずれが生じて自分のジャンプができずに終わることが多かった。緊張すると、スタート前に鼻の穴が膨らむんです。ところが最近は膨らまなくなってきているんですよね。やっぱり経験によって精神的に強くなっているのかなと思います」

<了>

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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