真央が魅せる愛の曲『ノクターン』の物語=プログラム曲紹介Vol.1

いとうやまね

浅田のSP曲『ノクターン』。柔らかなピアノ曲には、作曲者ショパンの恋物語が秘められている 【坂本清】

 ソチ五輪開幕ももう間近。フィギュアスケートは、団体種目が現地時間6日(日本時間7日、0時半)から、個人種目が11日(12日0時)から行われます。
 このコラムでは全6回にわたって、リンクで華麗に舞う選手たちを支える『プログラム曲』にスポットを当てたいと思います。メダルの行方も気になりますが、作曲者のサイドストーリーや歴史背景、楽曲についてのミニ知識に触れ、より楽しく、味わい深いフィギュアスケート鑑賞を楽しみましょう。
 第1回は、浅田真央(中京大)の演じるショートプログラム(SP)曲『ノクターン』をお送りします。

16歳と23歳――ふたつのノクターン

 浅田選手のショートプログラム曲は、2006−07シーズンにも演じたことのある、フレデリック・ショパンの『ノクターン』です。正式には『ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9−2』という長い名前で呼ばれます。
 7年前に演じた当時、浅田選手はまだあどけなさを残す16歳でした。ちょうど大人びた衣装に切り替わったあたりだったと記憶しています。少しドキッとしたのを覚えています。
『ノクターン』という曲には、多分に「愛」の要素が含まれています。それは作曲者であるショパンの置かれた状況からも分かることです。浅田選手も現在23歳。大人の恋が分かる女性に成長しているに違いありません。その演じ分け、表現の違いも興味深いところです。

 音源は以前のはじけるようなアップテンポのものから、たおやかでゆったりとしたものに変わりました。7年前のノクターンは、旧ソ連を代表するピアニストで指揮者のウラディーミル・アシュケナージが演奏したものです。今回はポルトガル人女性ピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスのノクターンが使われています。ピリスのノクターンが収められている『ショパン:夜想曲全集』は、レコード・アカデミー賞を受賞した名盤として知られています。

 浅田選手の16歳当時の言葉が残されています。「スケートのエッジを指に、リンクを鍵盤に見立てて滑りました」というものです。そのころはまだ演技にテーマを設けず、ピアノの音を感じたままに、彼女の言葉を借りるならば、「自分で演奏しているようなつもり」で滑っていたに違いありません。
 現在の振り付けには7年前にはなかったテーマが設定されているそうです。そのテーマとは『初恋』。初恋といっても、「思いを遂げられた初めての恋」を想定しているのかもしれません。曲調も演技もぐっと大人びたものを感じます。
 浅田選手の口からは、「自分が悲しかったことを思い出したり、山があったり雪が降っていたり……」という感情移入の方法が語られました。見上げるシーンは雪山に2人でいるところを想像するようにと、アドバイスを受けているようです。遠くに山を頂くカナダでのトレーニング中らしい具体的なアドバイスですね。

作曲者ショパン、プレイエル夫人に捧げた愛の曲

 この『ノクターン』は、ショパンが生涯愛用したピアノメーカー「プレイエル社」の社長夫人、マリー・プレイエルに献呈された曲です。ショパン作品の中でも最も有名な曲のひとつと言えるでしょう。

 プレイエル社の社長カミーユ・プレイエルは、ショパンの才能をいち早く見いだした人物であり、最大の理解者でパトロンでした。そして妻のマリーは美しくかつ奔放で、有名音楽家との恋のうわさが絶えることのない女性でした。実はマリー自身も10代の頃から活躍していたピアニストであり、パリを彩るサロンの花形でした。彼女の愛人の中には、ヒラー、ベリオーズ、リストという、当時のそうそうたる面々が連なり、ショパンもまたそのひとりだったようです。

 この曲の楽譜は、ショパンがマリー・プレイエルと愛人関係にあった1832年に、彼女の名を「献呈者」として発表されました。ショパンが22歳の時です。もっとも作曲されたのはその2年くらい前だとされ、他の女性をイメージして作られたものかもしれません。ショパンは故郷ワルシャワ時代に出会った初恋の人を思い、いくつもの曲を作っています。

 このノクターンも、プレイエル夫人との戯れの後に婚約したマリア・ヴォジンスカへのラブレターに一部添えられたという話が残っています。冒頭の数小節を手紙にしたためたということですが、なんともロマンティックですね。ただし、この恋愛も有名な女流小説家ジョルジュ・サンドの出現により、婚約破棄という結末になってしまうのですが……。ショパンとサンドとの恋愛は、映画や小説にもなっています。

ノクターンとサロン文化

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 ノクターン(Nocturne)とは、フランス語の「ノクチュルヌ=夜の」を語源としたもので、日本語では「夜想曲」と訳されます。元々は、親しい人たちのためにお金持ちが夕刻に行う小さな野外音楽会の事を意味しました。

 やがて、ヨーロッパのとりわけパリの「サロン文化」の中で、ひとつの音楽様式として確立していくことになります。その名の通り「静かで暝想的な性格の夜を暗示する曲」であることが多いようです。その特徴は、左手の分散和音(アルペジオ)に右手の美しいメロディーラインをのせることに集約されます。浅田選手が2010年からフリースタイルで使用した、フランツ・リストの『愛の夢』もノクターンのひとつです。

 当時パリの社交界の中心であった『サロン』は、上流社会の主に女主人(サロニエール)が主催する文化的な夜会でした。そこには各界の名士や芸術家、文学家が集まり、政治や芸術について明け方まで論じ合ったといいます。サロンでは高い報酬での演奏会も行われ、ショパンたち音楽家にとっては、楽譜の出版元を見つけたり、お金持ちの子女たちのピアノレッスンの職を探す場でもあったようです。

 ショパンは見た目にもハンサムで、身のこなしもエレガントだったので、美しいピアノの演奏と相まって、集まったご婦人たちの心を独占していたようです。貴婦人たちの多くがこの若きポーランド人音楽家の魔法にかけられました。サロンには、たくさんの「恋の駆け引き」があったとされます。ノクターンには、そんな媚薬的要素が含まれているのかもしれません。

「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンの情感あふれる旋律に、浅田選手の思いを重ねた最後のノクターンを皆さんと一緒に楽しみたいと思います。

<了>
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著者プロフィール

サッカーおよびフィギュアスケートのコラムニスト、サッカー専門TV、欧州実況中継、五輪番組のリサーチャー。コメンテーターとしてTVにも出演。Interbrand、Landor Associates他で、シニアデザイナーとしてCI、VI開発、マーケティングに携わる。後に、コピーライターに転向。著書は『氷上秘話〜フィギュアスケート楽曲プログラムの知られざる世界』『フットボールde国歌大合唱』他、構成『サッカー日本代表帯同ドクター』(土肥美智子)他。

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