安楽智大、右肘の逆境を力に変えて――夏の全国制覇、その先の夢へ始動!

寺下友徳

投げられない日々に取り組んだ松井裕直伝トレーニング

この冬は、松井裕樹らから学んだ体幹トレーニングなどに精を出した 【寺下友徳】

 当初は「全治1カ月」との所見だった右腕尺骨神経まひ。だが、その後11月末までの練習試合では、マウンドにもブルペンにも安楽の姿はなかった。試合出場は代打のみ。上甲正典監督が当時を振り返り、こう語る。
「長引きました。お医者さんでMRIを撮影しても完治まで4割、5割、9割、9割5分と進んでいきましたが、それでも投球許可まで至らない。MRIを撮影して投球許可が出たのは12月半ばでした」

 普段なら焦りが出ても当然な状況。しかし安楽はここで心を整えた。
「負けた悔しさはあるけれども、そればかり考えても前には進まない」

 登板が続き疎かにしがちだった、「一から鍛え直す」方向へ一気に舵を切った。そのベースとなったのが18U野球W杯のチームメートから学んだトレーニング方法だ。
「松井さんや山岡さん(泰輔・瀬戸内高3年)と一緒になって気づいたのは股関節の柔らかさ。森さんや園部さん(聡・聖光学院高3年→オリックスドラフト4位)も体幹がしっかりしている。そこでインナーマッスルをやり直すことにしました」

 瞬発力を付けるため、これまで長距離走平日10キロ、休日12キロが主だったランニングは200メートルダッシュ平日50本、休日70本に変更。体幹トレーニングにもさまざまなメニューを取り入れ、自ら本を購入し食生活の改善にも着手。済美球技場横の土手で、彼は「勝てる投手になる」「最後の夏に全国制覇する」目標へ向け、一歩ずつ歩みを進めていた。

 主将でもある安楽は同時にチーム内改革にも取り組んでいる。「ウチの投手陣には休日にゴルフ場を走るメニューがあるんですが、1年生が10キロ走ったら安楽は12キロ走る」(上甲監督)。まずは背中で引っ張り、「必死にやらん奴はグラウンドから去れ!」と、あえて厳しい言葉を投げかけるキャプテン。よって、これまでおとなしかったグラウンドには安楽が勝利への必須条件として掲げる「全てに100パーセントの力を出す」雰囲気が生まれつつある。

夏の全国優勝、そしてその先にある夢へ

 かくして迎えた2014年。「安楽には『今度失敗したら夏に間に合わないばかりでなく、上で通用しないぞ』と言ってあります。本人は『2月からブルペンに入って、3月の練習試合で登板したい』とは言っていますが、判断を間違うと大変なことになる。慎重を期して、神経を尖らせて、遠投などでの投げ方や肩の筋力状態を見て全力投球のGOサインを出したい」

 指揮官はあくまで慎重な姿勢を崩さないが、スカウト陣の注目度はやはり高い。

「今年の上位指名は間違いないでしょう。けがの不安はありますけど、一冬を越えてどういうボールが投げられるか楽しみにしています。素材的にも素晴らしいですし、秋まで追いかけていきたいと思います」

 昨シーズン日本一の東北楽天・山下勝充中国・四国地区担当スカウトの弁はプロ野球12球団の総意だろう。
 ただ、安楽自身はプロ野球入りの前に達成すべきことを再び口にした。

「自分は幼いころからプロ野球選手になりたいと言ってきたし、そこへのこだわりもあります。済美高入学当初から監督さんにも『ずっとプロになる意識は忘れるな』とおっしゃっていただいていますし、プロになりたい想いで練習もしています。
 でも、最上級生になって、まずはプロよりも高校生の間でしかできない『甲子園に行くこと』を意識するようになりました。プロの夢はその次のステップであっても、叶えられること。夏の甲子園優勝は今年でないと叶わない目標なので、そこをまずは目指していきます」

 12月30日から1月3日の正月休み期間中も父親の実家である神戸でキャッチボールを行うなど、休みなく自らを鍛えてきた安楽智大。苦悶に満ちた3カ月半前とは比較にならないほど明らかに絞まった筋肉の鎧に身を包んだその表情は、「夏の全国優勝、そしてその先にある夢」をつかむ決意に満ちている。

<了>

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著者プロフィール

1971年、福井県生まれの東京都東村山市育ち。國學院久我山高→亜細亜大と進学した学生時代は「応援道」に没頭し、就職後は種々雑多な職歴を経験。2004年からは本格的に執筆活動を開始し、07年2月からは関東から愛媛県松山市に居を移し四国のスポーツを追及する。高校野球関連では「野球太郎」、「ホームラン」を中心に寄稿。

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