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ストイコビッチ名古屋の軌跡と功罪
幸せだった“妖精”との6年間

監督6シーズンで103勝59敗42分

名古屋での監督6年間を終え、日本を去るストイコビッチ。その軌跡と功罪は?
名古屋での監督6年間を終え、日本を去るストイコビッチ。その軌跡と功罪は?【写真:アフロ】

 4年間の栄華と、凋落の2年間。妖精とともに見た夢から、ついに覚めた。名古屋がドラガン・ストイコビッチ監督とともに歩んだ6シーズンが終わり、クラブは新たな歴史のページをめくり始めようとしている。


 6年の月日は長いようで短く、短いようで長い。短く感じるのはそれだけ充実していたということであり、6年という時間そのものが決して短いわけではないから長くも感じるのだ。選手もクラブもサポーターも、名古屋に関わる全ての人間にとっての2008年から2013年という期間は駆け抜けるように過ぎていった。ストイコビッチ監督が名古屋で為してきたことは功罪相半ば。愛すべきピクシーが日本を去った今、改めてその軌跡と功罪を振り返ってみる。


 まず監督としての成績は、総じて見れば素晴らしい成績だったといえる。名古屋から監督のキャリアをスタートさせた新人指揮官は、デビューとなる08年でいきなりリーグ3位という好成績をマーク。最終節まで優勝の可能性を残してのこの順位は、褒められるべきものだ。


 続く09年はリーグ戦では9位に留まったが、初参戦のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でこのシーズンの日本勢最高となるベスト4進出を果たし、天皇杯も決勝に進出。シンプルかつスピーディー、そしてサイドを活用するスタイルで猛威をふるったチームはこの2年間で確固たる土台を築き上げ、次なるステップへ移行する。


 10年、田中マルクス闘莉王と金崎夢生を補強した名古屋は攻守にすさまじい強さを見せつけ、1シーズン制移行後最速となる31節でクラブ史上初の栄冠を勝ち取った。年間獲得勝点は史上最多タイとなる72ポイント。首位を奪った18節以降その座を一度も譲ることなく、ただの一度も連敗することのない記録的な優勝だった。この年のJリーグアウォーズはまさしく名古屋のもので、ベストイレブンに5名が選出、楢崎正剛がMVPとなり、そしてストイコビッチ監督も最優秀監督に選ばれている。


 翌11年はリーグ2位に終わるも、勝点71を獲得したチームはリーグ史に残る“最強の2位”である。11年のチームこそ6年間で最強だったと言う選手は多い。12年、13年の2年はやや低迷したが、6シーズン計で103勝59敗42分は高く評価していい数字だ。

解任動議が起こることなく、サポーターから愛されていた

 かつてアーセン・ベンゲル監督が率いた“第一次黄金期”のエースが監督として帰還したことを、そして就任後の力強いチーム作りを、サポーターも全力で支援した。08年の就任以来、チームにブーイングが浴びせられることはあっても、監督にその矛先が向かったことはない。13年6月には低迷する現状を受け、クラブフロントがサポーター向けの説明会を行ったが、チーム成績低迷の責任をまず問われるであろう監督に対する解任動議が起こる雰囲気すらなかったほどだ。


 それはもちろんこれまでの成績に対するリスペクトの現れでもあったわけだが、ほかの監督ではここまでの愛情を注がれることはなかっただろう。リーグ最終節の翌日に行われた街中でのトークショーにはサポーター800人が詰めかけ、離日の際も空港には100人のサポーターが平日の朝から駆けつけた。ストイコビッチ監督とサポーターの関係は、常に良好だった。

若手に合わなかったトレーニングスタイル

 だが、選手と指揮官の関係がこの6年間常に良好であったかといえば、そうとは言い切れない。その推移は、上昇期の4年間と下降期の2年間で大きく様相を変える。


 以前のコラム(5月24日掲載)でも書いたが、ストイコビッチ監督のトレーニングはサッカーのスタイル同様に効率を重視したもので、1週間の過ごし方はほぼルーティン化されていた。しかもその主眼はコンディショニングに置かれており、シーズン中に試合並みの強い負荷がかかる練習はほぼ行われない。リーグ屈指のタレントをそろえる陣容は08年のスタート時から20代中盤以上の年齢の選手を中心に構成されており、11年までの4年間は体力的にも“貯金”が豊富だったため走り負けることも少なかった。


 しかしほぼ主力の入れ替えなしで迎えた5年目からは徐々にスタミナ面で陰りが見え始め、13年には走り負ける試合も散見されるように。また練習内容に戦術的要素が少ないことに物足りなさを感じる選手たちも出始め、経験の少ない若手は内容、負荷ともに不足する事態に陥っていた。最初は「この練習は頭をすごく使うので、時間が短くても疲れますね」と言っていても、話を進めると「今は90分走れるか不安です」という意見が出てくる。


 主力を固定する傾向も強く、「正直、アピールできているかがわからない」という声もあった。若手のミスに対する懲罰のような交代や起用もいただけない。若手こそミスには目をつぶり、チャレンジの中で成長をうながさなければならないのにだ。選手の気持ちが理解できる稀代のモチベーターとして、完成された選手たちを率いてきた男は、彼らを中心としたチーム作りをするあまりに若手との溝を生んでしまっていたことは否めない。


 実際のところ、成績が下降し始めた12年から、溝は顕在化し始めていた。トレーニングの件にしても、楢崎などは最初、「トレーニングが軽いといっても、俺が若手の頃は先輩たちを見て学んだもの。こういう状況でもできることはある」と若手の奮起をうながしていたが、ここ2年は練習内容への物足りなさを口にするようにもなっていた。


 背番号10を受け継いだ小川佳純も恩人といえるストイコビッチ監督への敬意は持っていたものの、練習の内容や起用法については半ば諦めの心境で構えていた。試合当日にならないとどのメンバーで何をするかは本当にはわからない、という風に。指揮官の「彼らならできる」という強烈な信頼は、諸刃の剣となって6年間の明暗を生んだ。名古屋の選手たちは100%の体調でプレーすれば、試合の中で対応し、どんな相手にも負けない。そういった信頼と自負が、時に無策にも見える戦い方の要因にもなった。

今井雄一朗

1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。以来、有料ウェブマガジン『赤鯱新報』はじめ、名古屋グランパスの取材と愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする日々。

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