偉大なるホースマン中村和夫の夢の結実=地味血統トウケイヘイローが良血打倒だ

橋本全弘

無名の競走馬ミルジョージを日本に導入

ミルジョージは種牡馬として、JRA・GI3勝を挙げたイナリワン(写真は89年天皇賞・春、鞍上は武豊)など活躍馬を輩出 【写真は共同】

 中村氏は1976年、米国キーンランドセールで当時英国のリーディングサイアーだったミルリーフの1歳牡馬を購入。米国で走らせ、デビュー3戦、4戦目と連勝したものの、その後はケガに泣き、結局4戦2勝で引退、日本へ戻して種牡馬とした。それがミルジョージである。もちろん無名種牡馬としてデビューだったが2世代目のロッキータイガーが地方で活躍し、1985年ジャパンCではシンボリルドルフの2着に健闘。その後もイナリワン、オサイチジョージ、ロジータといった活躍馬を中央・地方問わず輩出し続け、1989年には当時の大種牡馬ノーザンテーストから中央・地方合わせてのリーディングサイアーの座を奪い取った。まさに“種牡馬に競走成績は関係ない”を地で行く成功である。

 そして、私が出会った頃、中村氏が「この馬を何としても種牡馬として成功させるんだ」と鼻息荒く話していたのが種牡馬にしたばかりのサンデーサイレンス二世ゴールドヘイローである。同馬は中村氏の長男・伊三美氏のケイアイファームで生産、大井競馬でデビューし8戦5勝したが脚部不安で引退。中村氏は信念を貫くうように、自らが所有する数十頭の繁殖牝馬にゴールドヘイローを配合し続けた。同期のSS二世で種牡馬入りしたのはダービー馬アグネスフライト、2冠エアシャカール……などがいるが、ゴールドヘイロー産駒は2007年、主に地方競馬でビューすると高い勝ち上がり率を誇り、翌年には地方競馬の2歳部門でチャンピオンサイアーとなった。そして今年、中央の舞台に彗星のように現れたのが、中村氏が生産したトウケイヘイローなのである。

トウケイヘイローは中村氏の“執念”が作り上げた

 社台グループを中心にいまや世界中に通用するような良血馬がずらり顔を揃える日本の競馬シーンにおいて、父ゴールドヘイロー、母の父ミルジョージという、現役時代、重賞さえ勝てなかった2頭の種牡馬の配合馬が、天皇賞の舞台で主役の一角を担うのは、まさに日本競馬の歴史を作った一人の偉大なるホースマンの“執念”ともいえるのではないだろうか。

 平々凡々な人生を送ってきた自分にとってトウケイヘイローこそ親近感を覚える。並み居るエリートサラブレッドたちをなぎ倒し、盾の栄冠を手にする夢を託してみたい。

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著者プロフィール

 1954年生まれ。愛知県出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、スポーツニッポン新聞東京本社に入社。87年、中央競馬担当記者となり、武豊騎手やオグリキャップ、トウカイテイオー、ナリタブライアンなどの活躍で競馬ブーム真っ盛りの中、最前線記者として奔走した。2004年スポニチ退社後はケンタッキーダービー優勝フサイチペガサス等で知られる馬主・関口房朗氏の競馬顧問に就任、同オーナーとともに世界中のサラブレッドセールに帯同した。その他、共同通信社記者などを経て現在は競馬評論家。また、ジャーナリスト活動の傍ら立ち上げた全日本馬事株式会社では東京馬主協会公式HP(http://www.toa.or.jp/)を制作、管理。さらに競馬コンサルタントとして馬主サポート、香港、韓国の馬主へ日本競馬の紹介など幅広く活動している。著書に「名駿オグリキャップ」(毎日新聞社)「ナリタブライアンを忘れない」(KKベストセラーズ)などがある。

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