代表躍進でブーム到来のベルギーサッカー=FIFAランク5位でW杯の優勝候補に!?

中田徹

最終節はお祭り騒ぎの大祝勝会ムード

15日のウェールズ戦終了後、ピッチ上でW杯出場を祝うベルギー代表の選手たち 【Getty Images】

 4日前、敵地でクロアチアを破ってワールドカップ(W杯)出場を決めていたベルギー代表にとって、10月15日のホームマッチ、対ウェールズ戦は大祝勝会の意味合いを持っていた。
 4万8000人のサポーターは、フランス語の「トゥザンサンブル、トゥザンサンブル、エイ! エイ!(みんな一緒に、エイ! エイ)」のチャントと、オランダ語の「ワール・イス・ヘット・フェーシェ? ヒール・イス・ヘット・フェーシェ!(祭りはどこだ? 祭りはここだ!)」というチャントを交互に繰り返しながら、『赤い悪魔(ベルギー代表のニックネーム)』を応援した。
 終了直前、ウェールズにゴールを奪われ、試合は1−1で終わったが、それでもスタジアムは巨大なディスコと化し、ピッチの上では選手たちがビールを掛け合い、続いて花火大会が開かれた。ベルギーはひとつになったのだ。

フラマンとワロンの対立で代表戦も閑古鳥……

 近年、ベルギー代表はブームとも呼べる現象を国内に起こしており、ホームマッチのチケットは発売からわずか数日で完売が続いている。ベルギー代表特集の雑誌が売れ、ビールの缶には選手たちの顔がプリントされるようになった。右肩上がりの盛り上がりはクロアチア戦で頂点を迎え、ウェールズ戦で選手とサポーターが共にW杯出場の喜びを分かち合った。

 マルク・ウィルモッツ監督は今回の予選を振り返って「『みんなで一緒に』というのがモットーだった。選手、テクニカルスタッフだけじゃなく、ファンの力も集めてわれわれは強くなっていった」と語った。

『みんなで一緒に』と簡単に言うものの、ベルギーにおいてそれは言うは易し、行うは難し。ベルギーはフランデレン(=フラマン)地域(オランダ語圏)とワロン地域(フランス語圏)の諍いが絶えず、2つに分裂していた。古くからの言語問題、近年の経済格差、さらに政治問題も絡み、ベルギーという国は地図の上には存在していても、国民のアイデンティティーは失っていたのである。

 2006年には公共放送が「フランデレン地域が独立し、ベルギーという国は存在しなくなった」とうそのニュースを流し、それを国民が信じてパニックに陥ったという事件もあった。

 しかも、当時のベルギー代表はとても弱かった。2007年6月のFIFAランキングは71位。国が分裂しかかっている中、ベルギー代表を応援する機運は生まれず、スタジアムは2階席が解放されず閑古鳥が鳴いていた。2009年9月に行われたW杯予選では、アルメニアとのアウエーゲームにたった1人のサポーターしか応援に行かなかった。当時はスポンサーがつかず、テレビ中継すらなかった試合もあった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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