太平洋側に春が訪れた南アメリカ=W杯南米予選に見えた現在の勢力図

1991年に起こった太平洋側から大西洋側への批判

W杯南米予選を4位で突破し、2大会ぶり3回目の出場を決めたエクアドル 【写真:AFLO】

 あの日、チリの首都サンティアゴにあるクラウン・プラザ・ホテルは怒りに満ちていた。

 1次リーグを勝ち抜いた4チームが総当たりで優勝を争った1991年のコパ・アメリカ決勝リーグ。その初戦で退場処分を受けたアルゼンチンのクラウディオ・カニーヒアに対し、南米サッカー連盟(Conmebol)はわずか1試合の出場停止処分しか科さなかった。

 この決定により、最低2試合の処分は免れないと言われていたカニーヒアはコロンビアとの最終戦への出場が可能となり、結果としてアルゼンチンは8大会ぶりとなる優勝を飾る。ゆえに決勝リーグで3、4位に終わったチリ、コロンビア両国代表の関係者はConmebolに対する不満を爆発させ、南米サッカー界を操る“大西洋側のマフィア国”への批判を繰り広げた。

 今から20年以上も前の話である。

エクアドルが4位で本戦出場を決める

 それが事実かどうかはさておき、南米のサッカー界は半世紀近く前より大西洋側のサッカー大国、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイの三国によってコントロールされていると言われてきた。

 Conmebolは1986年以降、長らくパラグアイ人のニコラス・レオスが会長を務めてきたが、その実権は常に大西洋側の三国が握ってきたというのが定説である(なお、レオスは度重なる不正疑惑をメディアに訴えられてきた結果、FIFAの半ば強引なまでの働きかけにより今年4月に会長職を辞職。後任にはウルグアイ人のエウヘニオ・フィゲレドが就いている)。

 こうした歴史的背景を踏まえ、エクアドルサッカー連盟のルイス・チリボガ会長はホームにウルグアイを迎えた先週のワールドカップ(W杯)予選に際し、ヨーロッパからレフェリー団を招くことを要求したものの、Conmebolは受け入れなかった。

 エクアドルの要求には根拠があった。既に彼らは同予選にて、不当なジャッジにより勝ち点を失っていたからだ。今回はジェフェルソン・モンテロのゴールにより1−0で勝利することができたものの、ジョアオ・ロハスのゴールが不当なオフサイド判定で取り消されていなければスコアは2−0になっていたはずだった。

 いずれにせよ、最終的にはこの勝利がエクアドルにW杯出場をもたらすことになった(最終節のチリ戦には1−2で敗れたが、4位が確定)。コロンビア人監督レイナルド・ルエダの指揮下、エクアドルは2006年のドイツW杯まで用いていたシステムに回帰し、個々のテクニックと高さを生かしたスタイルを確立。今年7月にはストライカーのクリスティアン“チュチョ”ベニテスが急死するショッキングな事件もあったが、彼らは標高2800メートル超の高地にある首都キトの地の利を生かし、ホーム無敗を貫き4位で予選を終えた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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