錦織の復活がチームとファンに運んだもの=デビス杯ワールドグループ入れ替え戦

内田暁

錦織「『絶対に勝つ』と自分に言い聞かせた」

ヒラルドを破った錦織は、ガッツポーズで喜びを爆発させた 【写真は共同】

 心の委縮に肉体の躍動を束縛されていた錦織にとって、全米での敗戦から約3週間後に行われた国別対抗戦“デビスカップ”は、どのような意味を持ったのだろう? しかも迎えるコロンビアとの一戦は、世界上位16カ国から成るエリート群“ワールドグループ”への昇格を懸けた一戦だ。選手個々の成績はチーム全体の勝敗を左右し、一個人の敗戦は日本の運命を分けかねない。これまで、自分一人で未踏の地を目指してきた錦織にとって、チームに身を置き仲間と共に日本を背負うことは、どのような形であれ、これからの道を決める分水嶺になる。果たして進む先は、光の差す方向か、あるいは、長く暗いトンネルか……それは、錦織本人次第であった。

 そして錦織は、国を背負うプレシャーを誇りに、仲間の期待を勇気に変えた。
「最近は良い練習ができていたので、試合が楽しみでもあった。チーム戦で違う雰囲気もあるし、そこが自分の変わるきっかけになるのではという思いもあった。チーム戦は一人一人の結果がチームに響くこともあり、より強い気持ちで『絶対に勝つ』と自分に言い聞かせた。この機会に、もっと精神的に強くなれたらいいなと思います」
 チームのエースとして、そして先鋒としてまずは1勝を手にした大会初日の試合後、錦織はそう断言した。

 錦織が初戦で見せた素晴らしいプレーは、2日後の日曜日に、より多くのファンの足を会場に向かせたことだろう。デビスカップはシングルス4試合、ダブルス1試合の計5戦で競われ、先に3勝した国の勝利となる。最終日の9月15日を迎えた時点で、日本は1勝2敗と追い込まれていた。「好調だという錦織のプレーが見たい」あるいは「窮地の日本を自分たちの声援で後押ししたい」というテニスファンの情熱が、台風接近中のあいにくの悪天候にも関わらず、有明コロシアムを隅々まで埋め尽くしていた。

 そのようなファンの眼差しが向けられるなか、錦織は大胆かつ緻密、堅実ながらも遊び心に満ちたプレーを披露し、期待を熱狂へと一気に昇華させたのだ。時速200キロに迫る対戦相手のサンティアゴ・ヒラルドのサーブを、スライスでネット際にふわりと落とす。あるいは、相手がスマッシュ体勢に入ると「これはお手上げだ」と諦めたように俯いて立ち止まり、しかしヒラルドが打つ直前に、突如オープンコートへと猛ダッシュ。たたきつけられたボールは高く弾むが、せつな、錦織の体もふわりと宙を舞い、ボールを打ち返した。彼のテニスは、単にポイントを取るだけではない。創造性と痛快さに満ちたエースの魅惑的なプレーの数々に、詰め掛けたファンは、声をあげて酔いしれた。

己に打ち勝った勝利の立役者・添田

 世界87位を相手に6−1、6−2、6−4のスコア、試合時間1時間43分で奪い去った快勝は、チームに単なる勝ち星1を与えたにとどまらない。錦織戦の興奮も冷めやらぬ観客たちは、日本の命運を懸けた大一番に挑むチームキャプテン添田にも、コロシアムが震えるほどの手拍子と声援を送ったのだ。

 錦織という一人のスーパースターが運びこんだ熱気が、他の選手やファンにも伝播(でんぱ)し巨大なうねりを生む――それはここ数年、日本男子テニス界全体で起きた現象でもある。チーム最年長である29歳の添田は、長年打ち破れなかった100位の壁を錦織の台頭に合わせるように突破し、昨年は自己最高の47位にまで達した。この添田こそが、低迷期も含め、ここ10年近く日本を支えてきた支柱でもある。

 その男のもとに、2勝2敗という状態で、チームの運命を懸けた一戦が回ってきた。添田は過去にもそのような状況を幾度か経験し、プレッシャーに屈したこともある。だが今回、彼は弱気な己を「自分に負けんな!」と声に出して叱責し、ファンの願いを背に受け「自分に打ち勝った」。戦前には、錦織から対戦相手の情報や攻略のヒントも授かっていたという。

「個人戦ではありえない雰囲気。観客の盛り上がりや人数も含め、テニスもこれくらいのレベルになったんだなと客観的に思ったし、その中でプレーできたのは、プロとして幸せな瞬間でした」
 勝利の立役者としてコート中央でいの一番に胴上げされた男は、試合後1時間近く経ってもまだ“魂ここにあらず”といった表情で、ぎこちない笑みを作った。

 錦織の試合が始まった頃に上空を覆っていた黒く厚い雲は、戦いを終え選手たちが外に出た頃には千切れ千切れになり、かすかに西日を映してオレンジ色を帯びていた。
 その下で選手たちは、手にしたシャンペンボトルを激しく振り、絶叫と共に中身を一斉に互いの背に、頭にぶちまける。ふわりと軽やかに浮いていた錦織の髪も、緊張と興奮で青白かった添田の相貌も、歓喜の美酒に溶け込んで、艶やかに輝いていた。

<了>

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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