ミランが本田ではなくカカを選んだ理由=移籍に難色を示したCSKAの思惑

神尾光臣

カカの移籍金はゼロ

ミランは本田からターゲットを変え、カカを移籍金ゼロで獲得した 【写真:アフロ】

 ベルルスコーニ会長がカカの帰還を熱望していたのは公然の秘密で、実際昨年の夏も22番を空けて獲得に挑んでいた。それに最終的にはレアル・マドリーでもらう半額以上の減俸をカカが受け入れたとはいえ、400万ユーロ(約5億2000万円)の捻出は緊縮財政中のミランにとって、『本田の次の選択肢』でできる覚悟ではあるまい。厳しいサラリーキャップ制を敷き、ベテランを切り、そもそもカカを放出した理由も年俸の高騰が理由だった。そんな彼らがまさか完全移籍で獲得に出るとは地元メディアにも予想外で、「本田が移籍して来る1月までは期限付きで、その後にロサンゼルス・ギャラクシー」という情報はそこから出た推測だ。

 ミランはギアを入れ替えた。そして本田の代理人として兄の弘幸氏のサポートに付いていた大物代理人エルネスト・ブロンゼッティも、レアル・マドリーとミランとの間の橋渡しにかかりきりになった。レアル・マドリーは2009年にミランに約束した6800万ユーロ(当時のレートで約92億円)の移籍金の支払いを完遂しておらず、それを相殺する形で『移籍金ゼロ』も実現。今出て行くお金のことだけを考えれば、本田の夏移籍よりも無駄な支出が少なくなる。本田が日本代表で練習に励んでいた9月2日、ブロンゼッティは「資金のある時ならいざ知らず、ない時でも見事な交渉を展開するガッリアーニ副会長は本当に化け物だ」と嬉々(きき)として語っていたのだ。

 そんなミラクルを果たしたガッリアーニ副会長は、「1万5000人の“孤児”がスタジアムに帰って来る」とやけに具体的な数字を出して喜んでいる。「日本からのインバウンド収入よりも、彼らはカカ獲得による入場者増加の効果を選んだのだ」と前述の記者は言う。4カ月待てば移籍金ゼロで手に入る本田は、マーケティングの面でも無理に獲得を急がなくて良い存在になってしまったのである。

1月の加入は既定路線

 もっともカカ移籍は、ガレス・ベイルのレアル・マドリー移籍交渉が大詰めとなってから本格的に動き出したもの。7月に始めた交渉が早く完結していれば、本田もカカと比較されるような状況にはならなかったのかもしれない。彼にとっての不幸は、ミランとCSKAの間が長らくこじれたこと。ただミランも鈍重ではあったが、契約残り4カ月の選手に実質500万ユーロ(約6億5000万円)の移籍金提示は頑張った方だ。やはり問題は、ステップアップのために移籍を希望する本田の意思が、どれだけCSKAに理解されていたのかということになる。プライドが高く、基本的に西欧リーグの交渉手段に乗らないクラブならば、柔軟な対応を導く鍵は結局そこにしかなかった。

 イタリアでは、本田の1月のミラン移籍は既定路線として扱われている。「合意文書も交わされた」と報道されたし、EU圏外国人獲得枠も空けてある。もっともトップ下にはクラブのレジェンドがいる状況だが、ビッグクラブで厳しいポジション争いは当たり前だ。情報としてはまったく眉唾(まゆつば)の域だが「本田の移籍でカカはセカンドトップになり、立場が微妙になるのはむしろ点の取れない(ステファン・)エル・シャーラウィ」と書き立てる新聞もある。いずれにせよ本田の目線の高さ次第で、その後の運命はいくらでも変わり得るはず。希望を持って推移を見守りたい。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント