宇佐美が下した古巣・G大阪復帰の決断=ドイツで失った輝きを取り戻すために
収穫なく終えたホッフェンハイムでの日々
エース格として期待されてチームに加入したものの、ホッフェンハイムでは本領を発揮することができなかった 【Getty Images】
そのホッフェンハイムでのチャレンジは順調に幕をあけた。ロンドン五輪を終えてチームに合流すると、初先発となったフライブルグ戦ではブンデスリーガ初ゴールを決める。そのパフォーマンスからしても、彼がチームの中心であることは一目瞭然で、事実その後もレギュラーとして戦い続けた。
そんな彼に暗雲がたちこめたのは、12年11月だった。約1年半ぶりに日本代表に選出された直後のことだ。日本代表戦を終えチームに戻った彼を待っていたのは、サブメンバーにまわされるという屈辱。チームの成績も奮わず、彼の獲得に意欲的だったマルクス・バッベル監督を解任したのを皮切りに、クラブは度重なる監督交代を繰り返して迷走し、泥沼にはまっていく。最終的には入れ替え戦を制してなんとか残留にはこぎ着けたものの、ブンデスリーガ1部をクラブ史上ワーストの『16位』で終えたことが、チーム状況を物語っていたと言っていい。そして、そんな状況であっても、“エースになるべき存在”として獲得された宇佐美はリーグ戦のラスト8試合に全く試合に出場することができないまま2年目のシーズンを終える。だからこそ「悔しい以外に言葉がない。ホッフェンハイムでは何一つ収穫を得られなかった」と悔しさをにじませた。
G大阪復帰戦はラストマッチで戦った神戸
いや、何一つ収穫を得られなかったわけではないだろう。なぜなら、言葉に言い表せないほどの悔しさと引換えに、彼は冒頭にも書いた「もっと練習してうまくなりたい」という欲が大きくなったからだ。もともと、子供のときから練習好きとして知られ、日々の練習によって自分自身のサッカーを作り上げてきた彼のこと。その『欲』がさらに煮えたぎっているとなれば、宇佐美が輝きを取り戻す日はそう遠くはないはずだ。さらに言えば、ドイツを舞台に戦い、いろんな選手のレベルを肌で感じ、飛び込まなければ決して気づけなかった多くのこと学んだ日々は、いつか必ず「いい2年間だった」と言えるものに変わるはずだ。いや、『宇佐美貴史』だからこそ、きっと、そう言い切れるサッカー人生をここから再び作り上げると信じられる。
その宇佐美のデビュー戦は移籍ウインドウの関係で、選手登録が完了する7月19日以降となる。すなわち、J2リーグ戦には最短で、7月20日の第25節ヴィッセル神戸戦より出場可能だ。思えば、その神戸は、彼がドイツに渡る直前のラストマッチで戦った相手。1ゴール1アシストで自らの旅立ちに花を添えた試合だ。偶然にもその神戸が相手となれば――。何らかのうれしい『予感』を抱かずにはいられない。
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