NBA王者を率いることの難しさ=夢をつかんだ指導者が歩む日陰の道
スタートはビデオコーディネーターからだった
ただ、ビデオコーディネーターの仕事が、短期的なものである可能性があったのに対し、ドイツのチームとはあと2年契約が残っていたため、本人は当初、ドイツに残る方向で考えていたという。
しかしそんなとき、彼の姉がこう言ったそうである。
「あんたはバカじゃないの? NBAで仕事を得ることがどれだけ難しいか分かっているの? 父親がNBAのチームで働いているからといって、簡単に仕事がもらえるわけじゃないんだよ。もし、このチャンスを生かそうとしないなら、あんたはバカだ!」
その言葉で翻意したスポールストラHCはその後、スカウト、スカウト部長、アシスタントコーチとステップアップし、2008年4月、ついにヘッドコーチとなった。
10年にジェームズがヒートに来てからは、2人の確執が伝えられた。伴って、スポールストラHCではジェームズらスター選手をまとめられないとも言われ、そこにも選手経験のなさが批判の裏に見え隠れしていた。しかし、彼は下積み時代に養った分析力で徐々に選手の信頼を勝ち取っていく。
今季、インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス・ファイナルの初戦では、ジェームズがフリーで決勝レイアップを決めたが、そこにはスポールストラHCの的確なディフェンスに対する読みが伺えた。ジェームズがフリーになったのは、偶然ではない。
もっとも、今の環境でヘッドコーチをする限り、勝てば選手の手柄、負ければヘッドコーチの責任、という図式はこれからも変わらないだろう。一見、華やかに見えるが、勝って当たり前のチームほど、コーチの難しいチームはない――そう、評価されるまでは。
<了>