ポルトガルが抱える歴史的な2つの問題点=精神的弱さを助長する楽観的な国民性

市之瀬敦

「予選突破の戦いに生き残った」

ポルトガルは、ポスティガ(中央)のゴールでロシアを下し、W杯出場へ望みをつないだ 【写真:ロイター/アフロ】

 ポルトガル代表は7日夜(現地時間)、ベンフィカのホームであり、代表チームにとっては験のよいリスボンのルス・スタジアムで、ワールドカップ(W杯)欧州予選・グループF最大のライバルであるロシアを迎え撃った。ポルトガルにとって絶対に落とせない重要な一戦は、前半9分にエルデル・ポスティガが決めた虎の子の1点を守りきり、ポルトガルが勝利した。

 その結果、同じグループのロシアと北アイルランドより試合の消化が2試合多いものの、ポルトガルは2位ロシアに勝ち点「2」の差をつけて暫定首位に躍り出た。前節まで3位だったことを思えば、予選突破に向けてずいぶんと視界が開けてきた感じがする。
 残り試合数や、対戦の組み合わせを見る限りでは、ロシアの首位通過の可能性が高いように思えるが、ロシア戦の勝利によってポルトガルの2位以内、すなわちプレーオフ進出の確率もだいぶ高まったのではないか。もちろん、10月15日の最終節まで何が起こるか分かるはずもないのだが、この日、出場停止だったDFぺぺの代わりに先発したセンターバックのルイス・ネトが試合後述べたように、「ポルトガルは何も勝ち取ったわけではないけれど、予選突破の戦いに生き残った」ことは確かなのである。

 ちなみに、ポスティガのゴールは自身の代表通算26ゴール目に当たり、これでルイ・コスタに並び、代表歴代得点ランキングの6位に躍り出たことになる。ちなみにトップはパウレタの47ゴール、次いでエウゼビオの41ゴール。ポスティガの上を行く残りの3人は、クリスティアーノ・ロナウド(38ゴール)、フィーゴ(32ゴール)、ヌーノ・ゴメス(29ゴール)である。ストライカーとして物足りなさを指摘されることも多いポスティガだが、昨年9月に始まった今回の予選でも7試合で5得点を決めており、きっちりと結果を残していることもまた事実だ。

ベント監督が指摘する2つの問題点

 今回の予選でグループFに入ったポルトガル。対戦相手は、ロシア、イスラエル、北アイルランド、アゼルバイジャン、そしてルクセンブルクである。ロシアは難敵かもしれないが、順当に行けばポルトガルが首位で予選通過と予想された方も多かったのではないか。
 だが一方で、予選では順当に勝てないのがポルトガルだ。苦しい戦いの末プレーオフで何とか生き残り、ブラジル行きを決めるのではないか、とうがった見方をされた方もいたかもしれない。なにしろポルトガルは大方の予想を裏切り、2010年のW杯南アフリカ大会も、昨年のユーロ(欧州選手権)も、予選ではプレーオフの戦いを必要としたのである。したがって、今回も似たような展開が予想された。そして、7試合を消化した時点で言えることは、暫定首位に立ってはいるものの、楽観論より悲観論の方が正しかったということである。

 では、なぜポルトガルは本来の実力を発揮して、すんなりとグループ首位で予選突破を決めることができないのだろうか。ロシアとの試合後、パウロ・ベント代表監督は記者たちの質問に答え、ポルトガルの「歴史的な」問題点を2つ挙げている。この場合の「歴史的」は「慢性的」と読み替えてもよいかもしれない。

 1つは、ポルトガル代表はリードを守りきれない、という弱点。ロシア戦に限っては前半の早い時間帯に挙げた得点を最後まで集中を切らさず守りきれたものの、3月のイスラエル戦では開始2分に先制しながらも、その後1−3と逆転され、終了直前になんとか同点に持ち込んだ。リードした後の試合運びに難があるというのだ。
 もう1つは、ポルトガルが有利と見られる試合をコントロールしきれない、という問題。勝利が当然と思われながらも、1−1の引き分けに終わった昨年10月の北アイルランド戦などはその典型であろう。ベント監督は、現在の代表戦士たちの試合に取り組む姿勢に問題があるわけではなく、10年秋に代表チームを率いた時からこの2つの問題があると語る。つまり、「歴史的」な問題であり、修正しようと試みても、なかなか一朝一夕では解決できないのだと弱気な面を見せているのだ。

 確かにベント監督の発言には納得させられるところがある。選手たちを直接指揮している本人が言うのだから、代表メンバー一人ひとりは真剣に試合に臨んでいるに違いない。相手に押し込まれたロシア戦の終盤に見せた集中力には、どうしてもW杯に出たいという気持ちが感じ取れた。しかし、近年の代表チームの予選をトータルして見れば、代表チームから漂うだけでなく、周囲を取り囲む漠然と弛緩(しかん)した空気が苦戦の原因の根底にあるように思えてならないのである。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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