クルム伊達、全仏完敗も笑顔の理由=結婚で心境に変化も、変わらぬ勝負師の姿

内田暁

照準は芝のウィンブルドン

 だがもちろんそうは言っても、コートに立てば勝ちたい、少なくても良いプレーを発揮したいと思うのがアスリートの本能だ。この日のクルム伊達は、あまりに好調なストーサーの前にチャンスらしいチャンスをつかむことはできなかったが、それでも際どい判定には目じりをつり上げて抗議し、第2セットの中盤以降は“魅せる”プレーで観衆を引き込んだ。特に第2セットの第6ゲーム、ドロップショットやロブを多用した末にたたき込んだバックの鮮やかなウイナーは、美しさと激しさが同居するクルム伊達のテニスの真骨頂。「レッドクレーでも、少しはテニスを楽しむことができたかな」との思いと、「自分のテニスは見失っていない」という手応えも、試合後の穏やかな表情の理由だろう。
 そしてもちろん、クレーを犠牲にしてまで体調管理を優先させたのは、赤土の季節の先に、クルム伊達が最も好きな芝のウィンブルドンが待っているからだ。
 
 敗れて笑顔を見せるのは、クルム伊達が、20代の頃のように是が非でも勝ちを求める勝負師ではなくなったからなのか? そのような部分まで、彼女は変わったのだろうか?
 いや、そうではないだろう。これはむしろ、肉を切らせ骨を断つこともいとわぬクルム伊達の勝負師の資質が、クレーを捨てて芝のコートを選ぶという、大局的でより大胆な形で発揮されたと見るべきだ。

 人には変えられる要素と、変えられぬ本質がある。彼女は“伊達公子”から“クルム伊達公子”になる過程で、変えられるものは勇気をもって変え、変えられないものは冷静さと知性をもって受け入れてきた。今年の彼女は、「クレーでは自分に期待しないようにした」と言い、その上で「照準は当然、ウィンブルドン」と目に光を宿す。
 欧州の赤土に植えた我慢の種は、6月のウィンブルドンの青芝で芽吹き、鮮やかな花を咲かせるはずだ。

<了>

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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