ベッカム、オーウェンらの引退が持つ意味=イングランドに期待される新時代の到来

東本貢司

パリで語った心からの感謝

現役に別れを告げたベッカム。ホーム最終戦で先発出場するとピッチの上で涙を流した 【Getty Images】

 そのとき彼は泣いていた。こみ上げてくるものを抑えきれず、まるで子供のように顔をくしゃくしゃにして。フェアウェル・マッチ――パリ・サンジェルマン(PSG)のプレジデント、ナセル・アリ=フェライフィが「コーチ(カルロ・アンチェロッティ)に任せてあるが、たぶんこれが(彼の)最後の試合になると思う」と述べた。フランスのリーグはまだあともう一節を残している。PSGはその最終戦をロリアンで戦う。おそらくは、ホーム『パルク・ドゥ・プランス』でのラストゲームが、デイヴィッド・ベッカムの花道にふさわしいという配慮だったのだろう。クラブはこの日、彼を特例のゲームキャプテンと“銘打って”礼を尽くすことまでした。それは、試合後(対スタッド・ブレスト)、ベッカム自身がファンに呼びかけた言葉ともぴたりと呼応する。

「パリ(のサポーターおよび市民)に心からの感謝を。この地でキャリアを終える喜びは何ものにも代え難い。まるで10年間をともにしてきたように遇してくれたチームで、今、現役に別れを告げる自分は本当に幸せ者だ」

 ベッカムに限って、この出来過ぎたコメントは本心以外にあり得ない。彼ほど裏表のない“生一本”のアスリートは(おそらく)いない。それこそが、万人に愛されてきた所以であり、あるいはしばしば揶揄(やゆ)され、ときには異端児扱いされ、いつかこっけいなほどゴシップ系御用達のピエロに祭り上げられた理由だった。ここに至ってようやく、人々、つまり“万人”がそのことに気が付き、もしくは思い出した……。ベッカムの現役引退“セレモニー”の意義は、ほぼ、その一点に尽きると言っても過言ではない。

評価する機会はこれから何度も訪れる

 われわれは折に触れて、彼の“非フットボーラー的”行状に、目と耳を奪われてきた(この“事実”に反論できる人はめったにいないだろう)。そのため、彼を「究極の純なプロフェッショナル」として賞賛する現場の声、エピソードが漏れ伝わってきても、どこか絵空事のような受け止め方で、事実上無関心の振りをし続けた。ポップスターとの恋愛、結婚、贅(ぜい)を尽くした豪邸、あらぬアバンチュール疑惑とそのうわさ、ショウビズ界セレブたちとの交友録にはロバの耳になっても、ジネディーヌ・ジダンが「本物のプロだ」と褒めちぎったという話には目をパチクリさせるだけだった。一時は、かなりフットボールに関心を持つ人でさえ、彼の所属クラブの名前すら思い出せないというケースも多々あった。

 しかし、そんな“回り道”も無駄ではなかったのだ。ほんの数年前なら「もう過去の人」「カネ絡みの広告塔」などと切り捨てていた、通を自認するイングランドのコアなファンが、なぜ、今にしてこぞって「まだやれる」「どうして」と惜しみつつ、万感の感傷に浸っているのか――いや、もうこれ以上の言葉を尽くす必要もないだろう。

 人々が本当に「ベッカムの価値」に気づき、理解するのはこれからだ。彼はどこにでもいた。実際、きっかけはどうあれ、自らの意思でスペイン、米国、イタリア、フランスを飛び回っては、絶えず世界の耳目を集め、不足のない(本人はどう思っているかは別にして)成果を残した。2012年ロンドン五輪招致では重要な役割を担った。そして、これからも、どこにでもいる。彼が今後どんな世界に飛び込んでいこうとも、ベッカムを評価する機会はまだこれから、何度も形を変えて、まわってくるはずである。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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