竹島問題に関するFIFA裁定の経緯=「英雄」として知名度を上げたパク・チョンウ

吉崎エイジーニョ

「メダルを受け取れる可能性が高まった」

プラカードを掲げるパク・チョンウ。FIFAからの裁定は予想されていたものよりも軽かった 【写真:Yonhap/アフロ】

「国際Aマッチ2試合の出場停止。3500スイスフラン(約31万円)の罰金。そして大韓サッカー協会への警告」

 これが、“竹島パフォーマンス”のパク・チョンウ(パク・ジョンウとも表記)に関わる、“第一次ペナルティー”だ。12月3日の午後、FIFA(国際サッカー連盟)から大韓協会に通知があり、メディアが一斉に報じた。

 パクは今年8月10日、ロンドン五輪男子サッカーの韓国代表として3位決定戦・日本戦に出場。試合後、勝利にわくなかで“独島(竹島の韓国名)は韓国の領土”と書かれたボードを掲げた。これが五輪憲章50条に抵触する可能性があるとして、メダル授与が保留状態になっている。

 まず断っておくべき点は、今回の決定が“最終判決”ではない、ということだ。FIFAは事が起きた8月から大韓協会にレポートを提出させるなどし、処罰を審議してきた。今回の決定を受け、最終的にはIOC(国際オリンピック委員会)がメダルはく奪かどうかの判断を下す。その時期は明らかになっていない。

「予想よりも軽い裁定だった」

 これが決定を受けての韓国メディアの主たる反応だ。

「軽い処罰に終わり、(メダル授与への)峠を越えた」(聯合ニュース)

「FIFAからの処罰が軽かったため、メダルを受け取れる可能性が高まった」(SBS)

 2試合の出場停止はFIFAに控訴ができないほど軽微なものだ(FIFA規定により3試合以上が可能)。また、罰金の3500スイスフランは、試合中の軽度の暴行での罰金と同程度でもある。

軽微な裁定となった理由

 韓国サッカー界全体への影響も、それほど大きくはない。パクは五輪後、守備力に長けたボランチとしてフル代表にも選出されている。来年3月に再開するワールドカップ(W杯)予選の2試合に欠場することになったが、現状では海外組が戻ればポジションを譲る状況。中盤の軸、キ・ソンヨン(スウォンジ・シティ/イングランド)と相性のいい選手を欠く点は痛いが“致命傷”ではない。こういった点からも、軽い裁定だったという点が分かる。韓国メディアが「FIFAが軽微と判断したため、メダル授与の可能性が高まった」と見るのも妥当な読みだ。

 ではなぜ、“第一次裁決”がこういった結果になったのか。

 より重大な処罰が課されるべき一件ではないのか。今回の裁決が出るまでの4カ月間、いったい何があったのか。

 事が起きた8月から、筆者は度々韓国を訪れこの件を取材してきた。

 発生直後には、「この件では絶対に引かないし、わびもしない」という強い雰囲気が国内にはあった。大韓サッカー協会がロンドンでのメダル授与式を含めたすべてのセレモニーにパクを欠席させた。するとメディア・世論がこれに猛反発。「パクを守れ」「英雄だ」というフレーズがメディアで躍った。現地のサッカー担当記者が「かなり極端な話」と断ったうえで、こんな一般に広まる考え方を説明してくれた。

「独島は韓国のもの。これは当たり前のこと。だから『ソウルは韓国のもの』と言うことと同じ。何も悪くはない。極端に言えばそう考えている」

 実際に大韓協会のチョ・ジュンヨン会長が8月17日に国会に参考人質問で招集された。ここで左派の野党議員による厳しい糾弾があった。大韓協会が、日本協会に対してわびともとれるメールを送った件を厳しく問い詰めたのだ。「なぜ、独島は韓国のものと主張したことを、日本にわびなければならないのか」と。

 政治の左右関係なく、「問題なし」という空気を作り出す。そんな張り詰めた空気があった。

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著者プロフィール

1974年生まれ、北九州市出身。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)朝鮮語科卒。『Number』で7年、「週刊サッカーマガジン」で12年間連載歴あり。97年に韓国、05年にドイツ在住。日韓欧の比較で見える「日本とは何ぞや?」を描く。近著にサッカー海外組エピソード満載の「メッシと滅私」(集英社新書)、翻訳書に「パク・チソン自伝 名もなき挑戦: 世界最高峰にたどり着けた理由」(SHOPRO)、「ホン・ミョンボ」、(実業之日本社)などがある。ほか教育関連書、北朝鮮関連翻訳本なども。本名は吉崎英治。

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