安定したクラブ経営を目指して
Jリーグを創った男・佐々木一樹 第7回
入場券販売とスポンサーからの支援が収入の柱となっているプロサッカー。Jリーグはクラブ経営の問題に常に頭を悩ませてきた
入場券販売とスポンサーからの支援が収入の柱となっているプロサッカー。Jリーグはクラブ経営の問題に常に頭を悩ませてきた【Jリーグフォト(株)】

 スタート時の10クラブから、わずか20年で40クラブに増えたJリーグ。しかしその20年間は、日本の経済にとって未曾有の長期的不況と重なっていた。


 プロサッカーは入場券販売とスポンサーからの支援が収入の二本柱だ。その柱のひとつがぐらつけば、クラブは即座に存在の危機に立つ。サッカーファンや少年少女の夢を運ぶ存在であるはずのプロサッカーリーグ。その担い手であるそれぞれのクラブの経営をいかに安定したものにできるか――。それはこの20年間、とくにここ10年間、常にJリーグを悩ませてきた問題だった。


 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第7回は「安定したクラブ経営を目指して」。

「このままでは除名や退会勧告も」

2003年、鳥栖は極度の財務状態悪化に陥り、Jリーグからの除名や退会も検討されていた
2003年、鳥栖は極度の財務状態悪化に陥り、Jリーグからの除名や退会も検討されていた【Jリーグフォト(株)】

 1998年の横浜フリューゲルス消滅以前にも、清水エスパルスが経営危機に瀕して運営企業が交代するという出来事があった。01年には、J2のヴァンフォーレ甲府が危機を迎えている。そして03年にはJ2サガン鳥栖が極度の財務状態悪化に陥り、当時の鈴木昌Jリーグ・チェアマンが「このままの経営が続けばJリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」とまで言わざるをえない状況に陥った。


「鳥栖には、地方都市ゆえの難しさがありました」と、佐々木さんは語る。

「鳥栖にスタジアム(現在のベストアメニティスタジアム)ができるのに合わせて、静岡県の浜松市から『フューチャーズ』というクラブが移ってきた。しかし、そもそも経営者が地元の人になかなかなじむことができなかった。そのクラブが97年に経営破たんしたため、当時の佐賀県サッカー協会会長・中村安昭さんが中心になり、チームの受け皿として新しく『サガン鳥栖』がつくられました。しかし強引にスタジアムを建設した市長への反対勢力もあって、『株式会社サガン鳥栖』を設立したものの、なかなか軌道に乗せることができませんでした」


 03年は44戦して勝利はわずか3つ、11分け30敗で勝ち点20。12チーム中最下位というだけでなく、11位の横浜FCの勝ち点42の半分にも満たず、6月14日の第17節からシーズン終了まで5カ月間、28試合連続で勝利がなかった。ホームゲームの平均観客数も3172人(このシーズンのJ2平均は7895人)と低迷した。


 04年、メキシコ五輪の銅メダリストで川崎フロンターレを育てたことでも知られる松本育夫を監督に迎えてシーズン前半は好調に突っ走った。しかし、故障者続出で後半戦は失速。同時に、当時の経営者が選手を政治活動に利用しようとするなど、ごたごたが続いた。


「05年に地元出身の実業家である井川幸広さんを中心に『株式会社サガンドリームス』を設立し、ようやくしっかりとした運営基盤ができたという形でした」(佐々木さん)

「社会の変化にクラブがついていけなかった」

2000年に行われた現東京ヴェルディのホームタウン移籍会見の様子
2000年に行われた現東京ヴェルディのホームタウン移籍会見の様子【Jリーグフォト(株)】

 Jリーグの初代チャンピオンであり、カズ(三浦知良)、ラモス瑠偉などそうそうたるメンバーを擁してJリーグの人気を引っぱった東京ヴェルディの危機は、急に訪れたものではなかったが、大きな驚きだった。


 読売新聞社と日本テレビ、そしてよみうりランドによって69年に設立された読売サッカークラブは、78年に日本サッカーリーグ1部に上がり、83年に初優勝を飾る。プロ志向のチームづくり、サッカーのスタイルだけでなく、ユース、ジュニアユース、さらには女子を含めた下部組織の成果(そこから数多くの日本代表選手が輩出された)により、Jリーグ設立に当たってモデルのひとつとされたクラブだった。たくさんのスターをかかえ、Jリーグ・スタートの最初の2シーズンを連覇したのは、当然の帰結だった。


 だが、94年の2回目の優勝を最後に、タイトルから遠ざかっていく。06年にはJ2に降格、08年にJ1復帰を果たしたが、1年でJ2に逆戻りを余儀なくされた。


「『全国区で』という、ヴェルディの存在の仕方自体が原因だったのではないか」と、佐々木さんは語る。


「クラブを経営する読売グループには、プロ野球の読売ジャイアンツと同じように、人気選手をかかえる常勝軍団をつくり、全国的な人気を得ようというイメージをもっていました。いろいろな面での日本社会の変化に、クラブの変化が追いついていけなかったというのが、わたしの印象です」

大住良之
大住良之

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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