安定したクラブ経営を目指して=Jリーグを創った男・佐々木一樹 第7回

大住良之

「サポーターが極端に少なくなってしまった」

味の素スタジアムで開催された東京ヴェルディのホームゲーム 【Jリーグフォト(株)】

 98年に読売新聞社とよみうりランドがグラブ経営から撤退、日本テレビが単独で経営に当たることになる。その後、共同出資社が参加したこともあったが、日本テレビ自体が08年に赤字決算を計上。09年にはクラブ経営から手を引くことになった。

「日本テレビは、長くファンから愛されてきたヴェルディというクラブをなんとか良い形で残したいと、本当に一生懸命にやってくれました。本来なら、膨大な累積赤字があってもおかしくなかったのですが、『きれい』な形で残してくれたのです」(佐々木さん)

「しかし経営を引き継いだ人が昔のヴェルディのイメージを保ちたいと、はっきりしないスポンサーとの間で無理に数字をつくろうとしてしまいました」

 ヴェルディ存続のためには、5億4000万円のスポンサー収入が必要だった。その契約も締結されたはずだった。しかし、実際に入金した額との間には大きな開きがあり、ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会直前の10年5月には、経営破たんが明らかになった。Jリーグは直接経営に乗り出さざるをえなかった。幸いなことにその後新しいスポンサーが見つかり、現在は正常な経営形態に戻っている。しかし「まだまだ大変」と、佐々木さんは語る。

「借金が残っているわけではありません。しかし、現在使用しているよみうりランドの練習場、クラブハウスは、賃貸料が高く、早急に新しい練習グラウンドを探さなければならない状況にあります。さらに大きな問題は、サポーターが極端に少なくなってしまったことです。今季ホームの入場者は、1試合平均5341人。J2の平均以下です。Jリーグ初年度にリーグ最多の2万5235人を記録し、今季の大半の試合を約5万人収容の味の素スタジアムで開催していることを考えれば、寂しい限りです。2001年にホームタウンを川崎から東京に移したことが、まだ尾を引いているのかもしれませんが……。応援してくれる人がもっといれば、多少は違ったのではないかと思います」

地元のサポートに救われた大分

2008年のナビスコカップで優勝した大分トリニータ。シャムスカ監督のもと、このシーズンはリーグ戦で4位にまで上り詰めた 【Jリーグフォト(株)】

「大分の場合は、Jリーグヤマザキナビスコカップ優勝(08年)が問題を大きくしたのではないか」と、佐々木さんは経営危機の意外な原因を語る。

 大分は日韓W杯の会場となるスタジアム(現在の大分銀行ドーム)がつくられることになって誕生したチーム。94年に大分県リーグからスタートし、97年には旧JFLに昇格、99年にはスタート1年目のJ2への入会を認められ、03年、クラブ創設10シーズン目にしてJ1に昇格した。

 最初は下位に低迷していたが、05年シーズンの半ばに就任したブラジル人のシャムスカ監督の下で急速に力をつけ、06年には8位、そして08年にはJ1で過去最高位の4位へと躍進した。08年にはヤマザキナビスコカップ優勝。クラブの未来は輝いて見えた。

 06年まで11年間、U−15の指導者に吉武博文(現在U−16日本代表監督)を擁したこともあって育成部門も大きな成果を挙げ、次々と好選手を輩出した。

 しかし、地方都市のクラブとして、スポンサー獲得ではずっと苦しい状態だった。

「溝畑宏代表が孤軍奮闘という形でスポンサー集めに奔走していたことが、問題の根源だったと思います。自分自身の資金を投入するなど、個人で非常に無理なことをしていました。そしてヤマザキナビスコカップ優勝でさらに無理をして、破たんを決定的にしてしまいました」(佐々木さん)

 09年1月に累積赤字11億円、債務超過5億5800万円という状況が発覚。11月にはJ1のリーグ戦残り試合をきちんと開催するためにJリーグから1億5000万円の「リーグ公式試合安定開催基金」を借りた。翌年1月には、さらにJリーグから4億5000万円の追加融資が必要だった。

「『クラブをつぶしても仕方がない』という話もありました。しかし、大分県の広瀬勝貞知事がJリーグにこられて『地元を挙げて再建にあたる』というお話しがあり、見守ることになりました。県内の市町村会がサポートに乗り出し、競技場使用料の減免措置など、いろいろな手を打ち、最終的には地元市民などから1億2000万円もの寄付が集まり、今年10月にはJリーグからの借り入れ金(総額6億円)を完済しました」

 ただ、債務超過が消えたわけではなく、苦しい状況は続く。

「クラブ経営者の素養を高めることが重要」

2012シーズン、クラブ初のJ1昇格を果たしたサガン鳥栖。第32節終了時点で5位と躍進している 【Jリーグフォト(株)】

 この10年間、Jリーグはクラブ経営の安定を目指し、いろいろな制度をつくり、指導を行ってきた。

「安易に『Jリーグに入ればなんとかなる』という姿勢が、ようやくなくなってきたように思います。今年からクラブライセンス制度ができ、基準はさらに明確になりました。その認識は浸透してきたのではないでしょうか」と、佐々木さんはクラブの経営危機が相次いだ過去10数年間を振り返る。そして、「クラブ経営者の素養を高めていくことが重要だと思います」と続ける。

「主要出資企業からクラブ経営者が送り込まれるという形がいくつものクラブであります。それ自体は悪くはないのですが、『3年間行って経験してこい』ではクラブのためになりません。『赤字を出すな』とか、『出資企業の負担を減らせ』などとだけ命じられて送り込まれたのでは、クラブは成長していくことができません。Jリーグのクラブは地域の生活と密接に結びつき、地域に夢を与える存在。その夢を壊さず、どうふくらませるかがクラブ経営者の基本的なスタンスであるべきです。Jリーグの次のステップアップできるかどうかは、クラブ経営者の質にかかっていると言っていいと思います」

 今年サガン鳥栖がJ2からJ1に昇格した。99年にスタートしたJ2に新しく加盟した9クラブで、最後までJ2から昇格できなかったのが鳥栖だった。消滅の危機を何回も乗り越えたクラブは、経営が安定した05年以降は常にJ2の上位をキープし、11年に2位に躍進して、ついにJ1の座を勝ち取ったのだ。

 そして迎えた2012シーズン、鳥栖は韓国人の尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督の指揮の下、どんな強豪にも一歩も引かない戦いを見せ、11月17日の第32節終了時で14勝8分け10敗、勝ち点50で5位という好位置につけている。年間予算はJ1の18クラブ中最も少なく、スター選手ももたずに「降格候補ナンバーワン」とまで言われた鳥栖の快進撃は、日本中を驚かせている。

 特筆すべきはホームでの圧倒的な強さだ。第32節までに鳥栖はホームゲームを16試合戦い、なんと10勝3分け3敗。今季の優勝争いの主役を演じているサンフレッチェ広島も鳥栖のベストアメニティスタジアムでは苦杯を喫し、ベガルタ仙台も引き分けがやっとだった。16試合の平均観客数はクラブ史上初めて1万人を超し、1万1358人。

 鳥栖の活躍ぶりを目の当たりにして、佐々木さんはあらためてクラブとホームタウンの結びつきの重要さを考えている。

<第8回に続く>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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