キャリアの危機にあるテリーが背負う過酷な運命=東本貢司の「プレミアム・コラム」
キャリア継続の危機に
キャリア継続の危機にさらされているテリー。スキャンダルが彼の名声に深刻な影を落としている 【Getty Images】
だがここで、その二つの事件を裁いた公判、ないしはそれに準ずる裁定において、テリーはそのいずれの場合も罪に問われていないことを認識している人は意外に少ないようだ。
2009年、英タブロイド数紙は、テリーが当時チームメイトだったウェイン・ブリッジの“元”ガールフレンドと「親密な関係を結んだ」と報じ、その詳細を記事にしたが、翌年1月、英国高等法院は「その事実があった根拠はない」として報道差し止めを命じている。これを受け、『ニューズ・オヴ・ザ・ワールド』と『メイル・オン・サンデイ』は事実誤認を認め、“問題の女性”ヴァネッサ・ペロンセルに対して「プライバシーを傷つけた」として謝罪文を掲げた(ただし、テリーに対する直接の謝罪言及はなかった)。
しかし、たとえ「無実」と認定されたとはいえ「イングランド代表のキャプテンたる者にかくなる反社会的疑惑が生じたこと」を重く見たFAは、代表監督(当時)ファビオ・カペッロを動かして、テリーのキャプテンマークはく奪に及んだのである。
ところが、「無実」を楯に代表メンバーそのものからの締め出しはなく、それがおそらくは「火のないところに煙は立たず」の印象を与え、以後に禍根を残すことになったのだ。
「禍根」とは、第一に、カペッロとFAの“不協和音”が、テリーの処遇に関して顕在化していったことである。
カペッロはあくまで「テリー=キャプテン」にこだわり続けた。それは、後に“第二の事件”勃発に当たって、再びテリーのキャプテンマークはく奪を決定したFAに敢然と異議を唱え、代表監督辞任を決意したことからも明らかだ。
問題をややこしくしたアクシデントもあった。直後のワールドカップ・南アフリカ本大会で、カペッロは代役に副キャプテンのリオ・ファーディナンドを指名したが、直前の準備段階であえなく故障離脱してしまう。もし、リオが無事に不足なく南アフリカでキャプテンを勤め上げていれば、たぶん“波風”は立たなかったのではあるまいか。
ところが、そのリオが期待を裏切った(カペッロにとっては都合のいいことに?)格好になり、窮余の一策としてスティーヴン・ジェラードを仕立てたことが、カペッロに「テリーのキャプテン復帰」を訴えやすくしたと考えられるのだ。
“針のむしろ”の上で国際大会を戦う
「再びの代表キャプテンをめぐる醜聞」は、当の“被害者”がリオの実弟アントンだったこともあって、リーグおよびFA関係者を悩ませ、まるで腫れ物に触るような対応を余儀なくさせたのだ。
それでも腹をくくって迅速な処置(聴聞会〜裁判)に踏み切ればまだしも、FAはわざわざ2012年夏の欧州選手権(ユーロ)本大会終了後(同年7月)に審判事務を先送りすることとし、再びテリーを“平”の代表メンバーに格下げした。しかも、今回は監督権限を無視して「直」に命を下したため、カペッロの怒りの辞任を引き出してしまう。
今にして思えば、二度の国際大会をいずれも“針のむしろ”の上でプレーしなければならなかったテリーの心情、そして不屈の闘志は、むしろ称賛に値すると言わねばなるまい。さぞや辛かったことだろう。身から出たサビというべきか、疑惑を招いた自らの“脇の甘さ”ゆえと耐え忍び、その上でスリー・ライオンズ(イングランド代表の愛称)のために全力を尽くすことを使命と自らに言い聞かせて、彼は雄々しくピッチに立ったに違いないのだ。
彼は孤独だった。おそらく、代表チームメイトのほとんどが彼とまともに目を合わせなかったに違いない。ふと彼を盗み見る彼らの視線が痛かったはずだ。
かけがえのない仲間の元彼女と不義の関係を結んだのかもしれない男――。
自分の後釜になりかけた男の実の弟に蔑んだ言葉を投げたのかもしれない男――。
ならば、テリーはそれだけで何にも耐え難い罰を受けたに等しい。たぶん、彼はその時点で運命に身を任せる決意をしていたのかもしれない。