鮫島彩、仙台への帰還と挑戦=2部チームから目指すさらなる高み

小林健志

ベガルタ仙台レディース移籍が発表され会見に臨んだ鮫島 【小林健志】

 なでしこジャパンの左サイドバックとして昨年の女子ワールドカップ(W杯)優勝、そしてロンドン五輪銀メダル獲得に大きく貢献した鮫島彩。フランスのモンペリエ退団後の去就が注目されていたが、彼女が選択したのはかつて所属していた東京電力女子サッカー部マリーゼ時代のチームメートが多数所属するベガルタ仙台レディース移籍だった。「お帰り」とかつての仲間やサポーターに温かく迎えられる一方、自分を成長させたいという強い決意が鮫島にはあった。

妥当でもあり、驚きも感じる決断

 鮫島彩は宮城県仙台市の常盤木学園高でFWや攻撃的MFとして頭角を現し、2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼに加入し活躍した。08年になでしこジャパンに選出されると、佐々木則夫監督は攻撃的なポジションでプレーしていた鮫島を左サイドバックとして起用。左サイドからの攻撃を活性化させた鮫島は、なでしこジャパンで定位置を確保した。

 そんな中11年3月11日に起きた東日本大震災の影響で東京電力福島第一原子力発電所で事故が起き、東電マリーゼはなでしこリーグへの参戦を断念。プレーの場を失った鮫島は米国のボストン・ブレイカーズに新天地を求め、女子W杯後はフランスのモンペリエに移籍した。

 そしてロンドン五輪を間近に控えた7月9日、鮫島のベガルタ仙台レディース移籍が正式発表となった。ベガルタ仙台レディースは休部となった東電マリーゼが移管されたチームで、現在はINAC神戸レオネッサなどが加盟するなでしこリーグの下部となる2部相当のチャレンジリーグに加盟している。かつてのチームメートが18名所属しているチームに戻る、高校時代を過ごした街に戻るという観点で見ると妥当な決断だが、代表経験者が日本の2部チームに所属するという観点で見ると、驚きを感じる決断でもあった。

大きな影響を与えたチームメートの存在

 実際のチーム合流はロンドン五輪終了後となり、鮫島は8月21日に仙台で行われた記者会見で新加入の心境を語った。鮫島は移籍理由について「今ここで一言で自分の思いを伝えるのは難しい」とはっきりとは語らなかったが、「自分が決断するにあたって一番強い思いは、やはり今ベガルタにいるチームメートともう一度サッカーをやりたいということ。仙台が大好きで、高校時代からの友人も、お世話になった恩師の方々もたくさんいる。そういう方々にまた自分のプレーを見てもらえたら」とも語った。

 マリーゼ時代のチームメートとは「以前からほぼ毎日のように連絡を取っていた。W杯期間中も五輪期間中もたくさんメールをもらって常に連絡を取っていた。ベガルタの練習や生活の様子も頻繁に話を聞いていた」といい、マリーゼ時代のチームメートや常盤木学園高時代の友人・恩師との人的つながりは、鮫島が移籍を決断する上で大きな影響を与えていた。

 戻ってきたという感覚が強いか、新しいチャレンジという気持ちが強いかという問いには「両方の感覚がある。今回決断したのはチームメートがいたからであり、その点では戻ってきた感触が強いが、これから自分が成長してもっと前に進むために決断したので、そういう意味では新たなチャレンジ」と語った。

 今回ベガルタ仙台レディース初のプロ契約となったことも一つの挑戦だ。「ほかの選手が日中に仕事しながら練習をするという点で違った責任がある。女子サッカーが発展していくためには環境の向上が今まで以上に必要になり、母校の常盤木学園の選手たちがベガルタ仙台でプレーしたいともっと思えるようなチームになってほしいという思いもあり、プロ契約させていただいた」と女子サッカーの将来も考えてプロ選手となり、自分を高めるための移籍であることを強調した。

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著者プロフィール

1976年、静岡県静岡市清水区生まれ。大学進学で宮城県仙台市に引っ越したのがきっかけでベガルタ仙台と出会い、2006年よりフリーライターとして活動。各種媒体でベガルタ仙台についての情報発信をするほか、育成年代の取材も精力的に行っている

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