国枝慎吾、2連覇の偉業を成し遂げた「普段通りのプレー」=車いすテニス

荒木美晴/MA SPORTS

表彰台で笑顔を見せる国枝(中央)。左端が銀メダルを獲得したウデ、右端は銅メダルのフィンク 【吉村もと/MA SPORTS】

 車いすテニス男子シングルス決勝が8日(現地時間)、オリンピックパーク内のイートンマナーで行われた。数々の熱戦が繰り広げられたセンターコートで、新たな伝説が誕生した。国枝慎吾(ユニクロ)が第1シードのステファン・ウデ(フランス)を6−4、6−2のストレートで破って優勝。男子シングルス史上初となる、2連覇を達成した。

 対戦相手のウデは世界ランキング1位。試合巧者で150キロを超える強烈なサーブが持ち味だ。国枝も「彼のサービスゲームを破るのはたやすいことではない」と警戒する。ところが、この日のウデはファーストサーブの調子がいまひとつ。国枝は“作戦通り”に、セカンドサーブを精度のいいリターンでプレッシャーをかけ、ゲームの主導権を握った。

 大会前、丸山弘道コーチは「パラリンピックという聖域で通用するのは、自分を最後まで信じ抜ける力。普通ではない場所に、普通ではない選手が集まる。そこで普通でいられる人が、表彰台に上がれる」と話していた。そして、この日の国枝は「朝起きた時から落ち着いていた。普段のツアーの試合のようなプレーができた」。試合を通して4度のブレークに成功し、理想的な展開で試合を決めた。

敗れたウデ「シンゴとの試合は楽しいよ」

決勝戦の大舞台でも「普段通り」のプレーを見せた国枝 【吉村もと/MA SPORTS】

 北京で頂点に到達した後、一時は目標を見失った。だが、「もっと強くなりたい」と、プロ転向といういばらの道をあえて選び、新たなスタートを切った。順調にキャリアを重ねていたが、痛めていた右肘が昨年9月の全米オープンで悪化。ツアーを離脱し、今年2月には手術を受けた。「逃げ出したくなるほど」つらいリハビリを乗り越え、身体も一回り大きくなって、5月のジャパン・オープンで復帰した。

 これまでのウデとの対戦成績は、29戦して国枝の23勝6敗。復帰後のツアーでは、ウデに3連敗のあと2連勝して、ロンドンに臨んだ。その時の2勝はいずれもフルセットだったが、この日の決勝ではストレートでウデを倒した。互いに刺激し合う二人。試合後、ウデは国枝との戦いをこう振り返った。

「こんな試合のときには攻撃的なサーブをしなくちゃいけないが、何度か失敗したし難しかった。でも(負けて)残念なんてことはないよ。こんな激闘だったんだから、銀メダルで幸せだ。思うに、僕らはどちらも強くなり、より進化した試合ができた。シンゴのテニスについて? チェアーワーク、リターンが本当に素晴らしい。シンゴとの試合は楽しいよ。また二人で試合がしたい」

「スコア以上に実力は拮抗」と国枝

 準々決勝でウデを苦しめた18歳の新鋭、グスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)をはじめとする若手選手の台頭が目覚ましい車いすテニス界。現在の勢力図は“戦国時代”の様相を呈している、と関係者は語る。今大会、1回戦から6試合を通して1セットも落とさずに優勝した国枝が頭ひとつ抜けている印象だが、「スコアの数字以上に、実力は拮抗(きっこう)している。ロンドンでも誰が勝っても不思議じゃなかった」と国枝は言い切る。

 そのなかで、国枝の強みとなっているのが、これまでに数々の厳しいトーナメントを勝ち上がり、タイトルを何度も取ってきたという“自信”だ。決勝についても、「前回の北京で金メダルを取ったという経験が、最後の最後で生きたと思う」と語った。

 誰も成し得たことのない、2度のパラリンピックチャンピオンという経験。それは、これからの国枝をさらなる高みへと押し上げることだろう。ロンドン後のプランについては、「考えたけど、答えが見つからないので帰って考えます」とだけ話したが、新たな領域への挑戦を期待せずにはいられない。

<了>
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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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