発祥の地で見えた、パラリンピックの歴史と現実=現地取材記

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パラリンピック発祥の地「ストーク・マンデビル」

ストーク・マンデビル病院(写真)は、第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリ施設であった 【スポーツナビ】

 史上最多の164の国と地域が参加して8月29日に開幕した、ロンドンパラリンピック。その公式キャラクターとなっているのが、「マンデビル」だ。この名前はロンドンから電車でおよそ1時間ほどにある小さな街、ストーク・マンデビルにちなんでいる。この地に存在するのがストーク・マンデビル病院。第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリ施設であったこの病院で、ある1人の医師の呼び掛けでスポーツ大会が開かれた。これが障害者スポーツのきっかけとなり、後に、パラリンピックへと発展していった。ストーク・マンデビルが、パラリンピック発祥の地とされている所以(ゆえん)である。

 これほどのビックイベントへと成長した原点とは、どのような場所なのか。熱戦が行われているロンドンを抜け、発祥の地へと向かった。

「パラリンピックの父」と呼ばれるルードウィッヒ・グットマン医師の銅像 【スポーツナビ】

 最寄りのアリスバーリー駅に到着し、小さな街を歩く。非常に緑豊かな場所で、立ち並ぶレンガ造りの家にはガーデニングが施され、英国の典型的な片田舎の風景が広がっていた。30分ほど歩くと、目的地であるストーク・マンデビル病院が見えてきた。

 第2次世界大戦の最中、この病院で脊髄損傷者センターの初代センター長となったのが、「パラリンピックの父」ルードウィッヒ・グットマン医師だった。増加する負傷兵士の治療と社会復帰を目的に、「手術よりスポーツを」と、グットマン医師はスポーツを治療に取り入れる。前述したパラリンピックの起源となるのは、1948年7月29日のこと。ロンドン五輪の開会式が行われたその日、この地では入院患者16人を集めたアーチェリー大会が開かれた。これが、第1回のストーク・マンデビル大会だ。大会は毎年開かれ、52年にはオランダも参加する国際大会に。その後、現代のパラリンピックの形式へと拡大を続けていった。

大切にされ続けているパラリンピックの聖地

スタジアムの入り口には、グットマンの肖像画と彼の功績を表わす言葉が飾られている 【スポーツナビ】

 ストーク・マンデビル病院に隣接するストーク・マンデビル競技場。グットマン自身が設立したスタジアムの入り口には、グットマンの肖像画と言葉が飾られていた。

『If I ever did one good thing in my medical career, it was to introduce sport into rehabilitation of disable people』 
(わたしがこれまで医療実績として1つやり遂げたことがあるとしたら、それは障害者のリハビリにスポーツを取り入れたことだろう)

スタジアム入口ではパラリンピック発祥の地と書かれた看板とマンデビルがお出迎え 【スポーツナビ】

「Birthplace of the Paralympics(パラリンピック発祥の地)」と書かれた入り口をくぐると、職員が丁寧に場所を案内し、解説をしてくれた。その言葉の節々からはグットマンに対する尊敬と誇りが感じられた。施設内はバリアフリー化が進んでおり、設備も充実している。それもそのはず、現在でも多くの障害者スポーツ選手のトレーニング拠点となっているからだ。ロンドンパラリンピックに臨む選手たちの多くが、この施設で最終調整を行っていたという。また、パラリンピックの聖火リレーがスタートしたのもこのスタジアムだった。長い年月を経ても、この地は聖地として英国国民の中で大切にされ続けているのである。

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