発祥の地で見えた、パラリンピックの歴史と現実=現地取材記
パラリンピック発祥の地「ストーク・マンデビル」
ストーク・マンデビル病院(写真)は、第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリ施設であった 【スポーツナビ】
これほどのビックイベントへと成長した原点とは、どのような場所なのか。熱戦が行われているロンドンを抜け、発祥の地へと向かった。
「パラリンピックの父」と呼ばれるルードウィッヒ・グットマン医師の銅像 【スポーツナビ】
第2次世界大戦の最中、この病院で脊髄損傷者センターの初代センター長となったのが、「パラリンピックの父」ルードウィッヒ・グットマン医師だった。増加する負傷兵士の治療と社会復帰を目的に、「手術よりスポーツを」と、グットマン医師はスポーツを治療に取り入れる。前述したパラリンピックの起源となるのは、1948年7月29日のこと。ロンドン五輪の開会式が行われたその日、この地では入院患者16人を集めたアーチェリー大会が開かれた。これが、第1回のストーク・マンデビル大会だ。大会は毎年開かれ、52年にはオランダも参加する国際大会に。その後、現代のパラリンピックの形式へと拡大を続けていった。
大切にされ続けているパラリンピックの聖地
スタジアムの入り口には、グットマンの肖像画と彼の功績を表わす言葉が飾られている 【スポーツナビ】
『If I ever did one good thing in my medical career, it was to introduce sport into rehabilitation of disable people』
(わたしがこれまで医療実績として1つやり遂げたことがあるとしたら、それは障害者のリハビリにスポーツを取り入れたことだろう)
スタジアム入口ではパラリンピック発祥の地と書かれた看板とマンデビルがお出迎え 【スポーツナビ】