射撃・田口亜希「この点数が、今の実力」=パラリンピック

荒木美晴/MA SPORTS

風を読みきれず、結果が出なかった大舞台の戦い

競技を終え、緊張から解放されたのか笑顔を見せた田口 【吉村もと/MA SPORTS】

 50メートル先の直径10.4ミリの点を撃ち抜く、射撃のライフル伏射(男女混合・SH1)が4日(現地時間)に行われた。横一列に並び、1時間15分の間に60発を撃つ本戦に臨んだ田口亜希(郵船クルーズ)は、最後の一発を打ち終えると、目を閉じ、静かに息を吐いた。結果は600点満点中581点の22位。目標だった決勝進出はかなわず、この瞬間、田口のロンドンが終わった。

「悔しいな」
 取材エリアに来た田口は、ひと言つぶやいた。張り詰めていた緊張感から解放され、ほっとした表情のなかに涙がにじんだ。

 この種目の勝敗を分けるポイントは、「風」と「光」の読みだという。射座から標的までの間は50メートルあり、強い風が吹くと弾道がそれる。しかも、今回の射撃場の風は「右からでも左からでもなく、舞っている感じ」。この日はその風の流れをつかみきれなかった。また試合中、脚に痙性(けいせい=まひに伴う副作用で起こるけいれん)が出てしまったという。「痙性をコントロールできず、どう撃とうか少し悩んでしまいました」

 アテネ、北京とも入賞している10メートルエアライフル伏射(男女混合・SH1)は1日に行われたが、本戦で600点満点中589点の44位と自己ワーストの成績に沈み、こちらもファイナルに出場できなかった。「どちらの種目もいつもの練習の点数が出せてないから、本当に悔しい。でも、射撃は誰かと対戦するスポーツじゃない。この点数も自分が出したもの。これが、今の実力なんだと思います」と結果を受け入れた。

背中を押す応援に感謝

 25歳のとき、脊髄の血管の病気で車いす生活に。エアライフルを始めて、わずか3年でアテネパラリンピック日本代表になった。それから8年。今大会は、これまでの「メダルが取れたらいいな」ではなく、「メダルを取る」と宣言した。注目されるのは実は得意ではないが、エースの自覚として、あえて自分にプレッシャーをかけた。

 射撃場に通うのは、主に仕事がない週末のみ。「仕事と両立するほうが私は精神的にバランスが取れる」。数を撃つより質を重視した練習に取り組んだ。勝利を見届けようと、試合会場には家族のほか会社のロンドン支社のスタッフらも駆けつけた。「ロンドンに来て何度も不安になったけれど、応援が本当に心強かった。だからこそ、サポートしてくれる会社や友人たちに恩返しがしたかった。みんなに見せられるものが欲しかったな」

 まだ見ぬメダルへの思いは、4年後に持ち越された。

<了>
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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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