鈴木孝幸、連覇逃すも「後悔するところのないレース」=水泳

荒木美晴/MA SPORTS

連覇ならずも自然と笑顔になった決勝レース

銅メダルを獲得した鈴木(左端)は金メダルのシュフンマーカー(中央)、銀メダルのルケ(右端)の健闘をたたえた 【Photo:吉村もと(MA SPORTS)】

 鈴木孝幸(ゴールドウイン)がいた場所は、表彰台の真ん中ではなかった。しかし彼は、大観衆の声援に応え、何度もガッツポーズを作ってみせた。そこには、4年間の重圧から解放され、また4年間やりきったという充実感が漂っていた。

 3日(現地時間)に行われたロンドンパラリンピック50メートル平泳ぎ決勝。この種目は鈴木の得意種目だった。スタートで好反応を見せ、浮き上がるとトップにたったのは狙い通りの展開だった。中盤までリードを守るが、最後の数メートルで鈴木を含む3選手が混戦に。「自分の泳ぎだけを見て」ゴールにタッチし顔を上げると、左右のレーンの二人が先に着いているのが見えた。

 優勝をさらったのは、オランダのミカエル・シュフンマーカー。2位はシドニー、アテネ大会優勝のミゲール・ルケ(スペイン)。劇的な逆転レースに、シュフンマーカーは感極まってプールサイドで涙を流して喜んだ。鈴木はそんな彼のもとへ行き、笑顔で「おめでとう」と声をかけた。

 鈴木は北京大会のこの種目の王者である。北京の予選レースで出した世界記録の48秒49はいまだに破られていない。連覇を狙っていたし、周囲の期待も感じていた。だから勝利を逃したことが、悔しくないはずがない。だが、鈴木はこう言った。「シュフンマーカーもリケもいつも一緒に戦ってきた仲間。だから、僕もうれしかった」。表彰式では、また頬をぬらすシュフンマーカーを鈴木とリケが両サイドからたたえた。「いい表彰式だった」。鈴木にも自然と笑みがこぼれた。

残りの種目につながる価値ある銅メダル

スタート台に上がり、左手をそっと胸に当てる鈴木。アテネの頃から始めたレース前の儀式は、ここロンドンでも心を鎮めてくれた 【Photo:吉村もと(MA SPORTS)】

 鈴木は生まれつき右腕の肘から先がなく、両脚は一部しかない。水泳を始めたのは6歳のとき。手足の長さが異なるため、まっすぐに泳ぐことも容易ではなかったが、泳ぎに工夫を重ねて自分の泳ぎを確立。2004年、17歳で初のパラリンピックとなるアテネ大会に出場した。

 実はロンドンの直前まで、鈴木は自分の水泳人生のなかでも、もっとも深刻なスランプに陥っていた。2年前のオランダでの世界選手権のこの種目でルケに敗れてからというもの、原因ははっきりしないが、理想とかけ離れたタイムしか出せなくなった。本来の泳ぎを取り戻すため、筋力の強化とより推進力を上げるフォームの改善に着手。なんとかロンドンに間に合わせた。

 この日は、予選・決勝とも、目標のひとつにしていた50秒を切ることができなかった。それでも、決勝で出した50秒26は最近では一番のタイム。泳ぎを振り返り、「後悔するところのないレースだった」と言い切ったのは、今持っている力をすべて出し切れたからだろう。今大会、2つ目の銅メダルに満足している。その充足感は、残りの2種目、7日の50メートルバタフライ、8日の100メートル自由形のレースにきっとつながるはずだ。

<了>
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著者プロフィール

1998年の長野パラリンピック観戦を機に、パラスポーツの取材を開始。より多くの人に魅力を伝えるべく、国内外の大会に足を運び、スポーツ雑誌やWebサイトに寄稿している。パラリンピックはシドニー大会から東京大会まで、夏季・冬季をあわせて11大会を取材。パラスポーツの報道を専門に行う一般社団法人MA SPORTSの代表を務める。

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