日本初の双子メダリスト湯元兄弟 “兄弟げんか”は引き分けに=レスリング

増渕由気子

ロンドン五輪選考会では進一が形勢逆転

兄弟で練習を行う健一(左)と進一。2人は切磋琢磨しながら五輪でのメダル獲得を目指した 【Getty Images】

 北京五輪には、進一も健一の練習パートナーとして帯同。メンタル面など細部にわたって健一をサポートした。健一は準決勝で敗れて3位決定戦に回ったのだが「得意のアンクルホールドを出せ」と技術面のアドバイスをしたのは進一だった。めでたく銅メダルを獲得した健一は「進一と一緒にとったメダル」と弟に感謝の言葉をつづった。
 
 銅メダルを取った健一は、一躍時の人に。テレビや雑誌などマスメディアにも露出し、知名度を上げた。その陰で悔しい毎日を送ったのが進一だ。「絶対に健一に負けたくない」。ここから進一の猛反撃が始まる。

 08年の全日本選手権で進一は初優勝を飾り、マイクを握って「湯元は健一だけじゃなくて、進一もいます!」と会場内に訴えた。結果も出した。全日本王者になってから出場した国際大会での優勝は、ゴールデングランプリやアジア選手権など4大会。北京五輪後、休養している兄の背中を急ピッチで追うどころか形勢は逆転していた。

 だが、進一はどんなに海外で優勝しても納得することはなかった。「健一は五輪でメダルを取っている。自分はまだ出てもいない」。今年3月のロンドン五輪アジア予選(カザフスタン)に、股関節にケガを負った状態で出場し、2位で予選通過。北京五輪の代表には進一が先に決まった。

弟の成長に焦る兄 後手に回りプレッシャーも

 一方、健一は09年の休養明けからは、国内でも勝ちきれない日々が続いた。代表に復帰したのは11年。前年にちょうど結婚し、家庭を持つ責任感がプラスに働いたのだろう。「もう北京五輪の時の自分を超えている」と自信を持って臨んだ昨年の世界選手権で3位。だが、優勝すれば代表決定だった12月の全日本選手権は初戦(2回戦)で敗退した。代表決定は今年4月のプレーオフに持ち越されたのだ。

 プレーオフの1週間前に弟が先に五輪行きを決めて、健一の心が揺れた。「3月のアジア予選で進一が勝ったのがプレッシャーだった。進一に自分が置いていかれると思った」と初戦が決勝という健一に有利なトーナメントで敗退。2度目のトーナメントでようやく代表を決めるというハラハラしたプレーオフだった。「湯元家の長男として、勝たなければならなかった」と、進一の後手に回ったことがプレッシャーの原因だった。

「一緒に勝ちたい、支えたい、でも、(兄、弟)には負けたくない」
家族だから、時には無償でサポートに回ってもいい、時には心を鬼にして叱咤激励(しったげきれい)をしてあげる。でも、絶対に(兄・弟)には勝負で負けたくない。だからともに金メダルを取れば、おあいこだ――。
 
 同級のライバルたちと同じくらい、兄弟間での成績や順位を比較し切磋琢磨(せっさたくま)してきたからこそ、レスリング界史上初の双子同時五輪出場を達成できたと言ってもいいだろう。

仲良く銅メダルを一つずつ “兄弟げんか”は引き分けに

 ロンドン五輪の日程は、55キロ級の進一が先に出場した。北京から4年間、銅メダリストの兄と比較されてきた悔しい毎日。「そのバネがあったから取れた銅メダルです」と進一。でも「超えられなかった。健一は4年前に同じ銅メダルを取っている。このメダルを磨いて金色にしたい」と悔しそうに笑顔を見せた。
 
 一方、健一は2大会連続のメダリストにはなれなかった。これで“兄弟げんか”は引き分けに終わる。兄、弟と書いてきたが2人は双子。基本的に2人の立場に上も下もない。だが、湯元兄弟はあえて、双子間に順位を付けて競い合い、成長してきた。
 もし、進一が銀以上のメダルを取っていたら、翌日の健一が、「負けてたまるか」と奮闘し、成績が変わったと思うのは私だけだろうか。勝負に“もし”はないのだけれど。

<了>

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著者プロフィール

栃木県宇都宮市出身。作新学院高〜青山学院大・文学部史学科卒業。高校まで剣道部に所属し、段位は2段。趣味は、高校野球観戦弾丸ツアーと、箱根駅伝で母校の旗を携えての追っかけ観戦

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