「天才」ゆえの苦悩……水谷隼の奮起を願う=卓球

城島充

水谷隼の卓球は、見ている者の胸を特別な感情で満たしてくれる 【Getty Images】

 ロンドン五輪に出場した選手のなかで、個人的にもっとも注目していたのは卓球男子の水谷隼(スヴェンソン)だった。専門誌の連載で生い立ちから全日本選手権男子シングルスを5連覇し、その大記録が途切れるまでの過程を追ったこともあり、彼の卓球がいかに「天才」と呼ばれるのにふさわしいか、実感として理解していたからである。

 卓球という競技が生まれた国で、日本からやってきた一人の天才の物語が華々しく綴られることを期待していたのだが……。
 世界ランキングを5位にまで上げ、ロンドン五輪で第3シード枠を勝ち取った日本のエースは、シングルス4回戦でミカエル・メイス(デンマーク)に0−4で敗れた。
「ここまで何もできずに終わってしまうと、何も言うことがない」

 メイスは今年6月のジャパン・オープン(荻村杯)で完勝している相手だ。その相手に、水谷はミスを繰り返した。いったい、なにが起こったのか。ロンドンから伝わってくる彼の言葉は多くないが、そのなかに気になるくだりがあった。
「五輪で勝てる選手が、本当に強い選手だと思う」
 そのまま解釈すれば、彼は自分の弱さを受け入れたことになる。その作業がいかに困難で辛いことか。今年の1月、6連覇を阻まれた全日本選手権のあとも、彼はその辛さと向き合っている。

新しい風景を見ながら

 歴史の1ページは、一人の天才によってあっさりと塗り替えられる――。今から6年前、17歳の水谷が全日本選手権の男子シングルスを制したとき、多くの卓球関係者がそう実感したはずだ。史上最年少という記録以上に、私たちの胸を震わせたのはその縦横無尽でスケールの大きなプレースタイルだ。14歳からドイツで腕を磨き、海外の指導者たちから「隼をボストンバッグにいれて持ち帰りたい」とまで言われた才能は、卓越した反射神経、予測能力、スピード、柔軟性、想像力……。卓球を面白く見せるすべての要素を満たしていた。

 だが、全日本を初制覇してからの水谷は、若くして「追われる立場」になった。連覇を続ければ続けるほど、重圧は大きくなる。
 昨年の11月だったか。水谷や岸川聖也ら男子代表のメンバーや同世代のトップ選手たちと食事をする機会があった。終始にこやかな表情で食事を楽しんでいた水谷が僕の耳元でこうつぶやいたのは、店を出て駅に向かって歩いているときだ。
「彼らは素晴らしい仲間ですが、親しくするのは今日が最後です。明日から全日本までは電話もメールもしません」

 さらに古い取材ノートをめくれば、こんな言葉も刻まれている。
「僕が全日本で勝っても、みんな当たり前だと思っているみたいですけど、僕がどれだけ大きな重圧と向き合っているか、それは僕にしかわからない」
「全日本で優勝を重ねるたびに周囲は『打倒・水谷』できますよね。だから、ふだんから他の選手と接するのにもけっこう神経をはってるんです。全日本になればみんな自分の王座を狙いにくる敵なので、隙(すき)をみせちゃいけないという意識が壁を作っちゃうんでしょうね」

 そして彼は怖い者知らずで向かってきた高校生の吉村真晴(野田学園高)に連覇を阻まれた。それがオリンピックイヤーであることが、水谷の卓球にどんな影響を与えるのか。全日本の9日後に電話でインタビューしたとき、彼は失意のなかで必死にロンドンにつながる光を見つけようとしていた。

「負けて強くなる人もいれば、負けてそのまま失速していく人もいますよね。正直言って、僕は後者のほうになりかけていました。でも、ブログやいろんな場面で、いろんな人が僕を支えてくれているのに、負けてあらためて気づきました。全日本を連覇するためにやってきた僕の悔しさをわかっているのは僕だけです。一生忘れることはできませんが、少しずつ、少しずつ以前の自分を取り戻していければいい。この敗北、挫折感、悔しさを胸に刻んだうえで強い相手に勝つことができれば、今まで味わったことない喜びを感じられるかもしれません。それが世界選手権やオリンピックのメダルにつながっていくと思うんです」

 実際、彼はドルトムントで開かれた3月の世界選手権で日本が銅メダルを獲得する立役者となり、その後のワールドツアーでも好成績を残してランキングを上げた。ジャパンオープンでは優勝も飾っている。
 それまでとは違う風景を見ながら、ロンドンの舞台に挑んだのだが……。

その魅力を多くの人に知ってほしい

 水谷隼という傑出した才能を持つアスリートを追うことは、同時に彼が抱える孤独の影を見つめる作業でもある。取材ノートにはこんな言葉も残っている。

「僕は人生のすべてを卓球にかけています。それこそ、死にものぐるいで1日1日必死になって卓球と向き合ってるんです。だから、遠い未来のことを軽い感覚で話せないんです。ロンドンの次はリオを目指して頑張りますって、口にすることはできません」

 今、彼は悔しさとともにまた、新たな風景を見つめている。何度か向き合っただけの取材者の勝手な思いだが、そこにまた、次につながる光を探してほしい。
 なぜなら……。水谷隼の卓球は、見ている者の胸を特別な感情で満たしてくれる。そのことを、もっともっと多くの人に伝えたいからだ。

<了>
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著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

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