吉田、カレリンに並ぶ“世界12連覇” 初戦敗退の浜口は現役続行か=女子レスリング

増渕由気子

五輪3連覇を達成し、世界選手権V9と合わせて“世界12連覇”を成し遂げた吉田。金メダルを手に笑顔を見せる 【Getty Images】

“伝説のレスラー”アレクサンドル・カレリンの記録に並んだ! 女子レスリング55キロ級の吉田沙保里(ALSOK)がロンドン五輪の決勝で、昨年の世界選手権(トルコ)決勝の相手、トーニャ・バービーク(カナダ)を2−0で下して優勝した。五輪3連覇を飾るとともに、世界選手権V9を合わせて“世界12連覇”を達成。これはカレリンが樹立した不滅の金字塔に並ぶ偉業だ。勝負が決まると、セコンドの父・栄勝さんに駆け寄って、父を肩車。「重かったです(笑)。一緒に喜べるなんて2度とないことだと思うんで、最高の幸せです」と喜びを語った。

 前日にも、女子63キロ級の伊調馨(ALSOK)が日本女子史上初の五輪3連覇を達成したが、2002年から長期休養を取らず、皆勤賞で世界の舞台で戦ってきた吉田には、伊調を上回る記録づくめの快挙となった。
 8月9日現在日本が、同一競技で複数の金メダルを獲得しているのはレスリングのみ。吉田の金は、女子48キロ級の小原日登美(自衛隊)、伊調に続く3つ目。これは1968年メキシコ五輪で金を4つ取って以来の数で、日本のメダル量産競技としての責務を果たしたと言えるだろう。

手厚いサポートもあり、「旗手は勝てない」のジンクスも打破

「旗手は勝てない」のジンクスも打ち破った吉田(中央)。最強女王に不可能はない 【Getty Images】

 吉田は今大会、本人の強い意向もあって日本選手団の旗手を務めた。だが五輪の旗手にはジンクスがある。旗手をするとなぜか勝てない。04年アテネ五輪時は女子レスリングが初採用され、当時全盛期だった女子72キロ級の浜口京子(ジャパンビバレッジ)が旗手に。だが、準決勝で敗れて3位決定戦に回り、銅メダルを獲得。金には届かなかった。
 08年の北京五輪は卓球の福原愛が務めたがメダルに届かず。ただでさえ、さまざまな記録がかかりナーバスになりやすい状況で、吉田が自ら進んで旗手をやるとは誰も思っていなかっただろう。実際、開会式の大役を終えた後は、ずっとロンドン市内のマルチサポートハウスで練習に取り組むが、栄和人女子強化委員長と父の栄勝コーチのアドバイスにへそを曲げる一面もあった。「2人がそろって、あれやこれや言ってくる。2人から言われたことはプンとして(聞かず)、違うコーチからのアドバイスは、はいはいと言っていた。それは悪かったなと反省しています(笑)」(吉田)。
 
 今大会は、父という身内がナショナルコーチとして帯同できたため、吉田はメンタル面で我慢せずに素を出して生活できた。このことが、他の女子選手より10日ほど早くロンドン入りしてもマイナスにならなかった1つの要因だろう。
 さらに文部科学省直轄事業の一環として今回の五輪で初めて設置されたマルチサポート・ハウスが、フィジカル面で吉田を支えた。「私は外国の食事が合わない。こっちに入ってから16日目なんですけど、その間は減量もないですし、日本食をたくさん食べさせてもらいました。本当にたくさんの方がいろいろとしてくださったのが勝因でもあるし、ほかにも周りの方のサポートとかもあって、今回3連覇できたと思います」。マルチサポート・ハウスは今回から始まったサポート事業。メンタルとフィジカル両面で手厚いサポートで、「旗手は勝てない」のジンクスを打破できた。

「不要な攻めをしない」勝負にこだわったレスリングを選択

 吉田の十八番であるノーモーションの高速タックル。1試合に何回タックルを決めるかが見どころの1つだったのだが、吉田はケルシー・キャンベル(米国)との初戦(2回戦)は、今までになく慎重だった。手数が少なく、タックルにも本来の爆発的突進力がない。第1、2ピリオドを合わせても、タックルは1回だけ。3回戦のユリア・ラトケビッチ(アゼルバイジャン)でも序盤から、ガツガツ攻める吉田の姿はなかった。

 本調子なのだろうか――。そんな疑問が浮かぶ状態で準決勝が始まった。相手は5月のW杯で吉田に土を付けている、ワレリア・ジョロボワ(ロシア)。W杯の時は吉田の貧血による体調不良、2キロオーバー、団体戦など様々な要因が黒星につなげてしまったのだが、55キロのリミット計量だと、パワーで吉田が圧倒されることもなかった。
 だが、そのタイミング、キレが準決勝から格段によくなり、試合終了とともに、こぶしを突き上げてガッツポーズ。「本心を言えば、(準決勝は)スウェーデンが良かったけど、ロシアにリベンジしたい、でも怖いという気持ちがあった」と負けたトラウマは少しばかりあったようだ。だが手数が少ないものの急にキレが増したのは「(一度負けているから)やっぱり燃えたんですかね」と本能が覚醒した瞬間だった。この調子で決勝の第1ピリオドでは3点タックルを決め、2ピリオド目にはタックルから場外ポイントを奪って五輪3連覇を決めるのだが、全ピリオド点を取るのは1度だけだった。

 実は1ピリオド1アクションは吉田の作戦だった。「今回は賢いレスリングができたかな。勝ってナンボ。1点差でも勝ちは勝ち」と勝負にこだわった試合運びを第1試合から展開していたのだ。調子のほうはロンドンに来てからうなぎ昇りだったようで、父の栄勝コーチも現地に入ってからの練習で「いける」と確信したそうだ。昨年の世界選手権では、同じくバービークに2−1でしかも、リードしているにも関わらず、不要な攻撃を返されて失点し窮地に陥った。同じ轍(てつ)は踏まないと吉田は、怒涛(どとう)の攻撃を捨て勝負にこだわったレスリングを選択したのだ。

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著者プロフィール

栃木県宇都宮市出身。作新学院高〜青山学院大・文学部史学科卒業。高校まで剣道部に所属し、段位は2段。趣味は、高校野球観戦弾丸ツアーと、箱根駅伝で母校の旗を携えての追っかけ観戦

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