メキシコの戦略の前に「日本の試合」できず=U−23メキシコ 3−1 U−23日本

大住良之

さい配で負けたわけではない

メキシコに敗れ肩を落とす選手たち。韓国との3位決定戦に回る 【Getty Images】

 前半12分に大津のものすごいゴールで先制し、31分に同点に追いつかれたものの、前半は前線の守備もある程度機能し、メキシコにも決定的なチャンスは与えなかった。しかし、後半10分過ぎごろから目に見えて前線の守備が遅れるようになり、危ない時間が続いた。そして日本が「日本の試合」をできなくなると、メキシコの戦略がさらに生きるようになる。それからは、試合は一挙にメキシコに傾いていった。

 後半20分、ペラルタのシュートをキャッチしたGK権田修一(FC東京)からボランチの扇原貴宏(C大阪)に渡されたボールを狙っていたのはR・ヒメネスだった。あわてて持ち直したところを、FWペラルタが引っかけた。そしてペラルタのシュートがゴール左に突き刺さった。

 1点をリードすると、メキシコは自陣に引いて守備ブロックをつくったが、前線の2、3人には日本の守備ラインとボランチのところにプレッシャーをかけ続けるよう指示した。それが終盤になってからの日本の反撃をやりにくくさせ、逆にカウンターから1点を追加する力になった。

 関塚監督がテナ監督にさい配で負けたわけではない。コンディションは悪くはないと自信を持って送り出したチームが全体として「動きが重かった」という状態、そして後半なかばまで、とにかく1−1の同点だったという状況が、関塚監督の選手交代を遅らせ、結果として相手の戦略にはまる形となってしまったのだ。

銅メダルかメダルなしか

 もうひとつの準決勝ではブラジルが韓国に3−0で勝ち、決勝はブラジル対メキシコとなった。ネイマールらスターを並べたブラジルの優勝は確実だろうか。わたしはそうは思わない。個々の力に頼るブラジルに対し、メキシコは規律があり、全員がチームプレーに徹している。守備陣も粘り強い。そしてとにかく相手より走る。両チームの特徴を考えると、メキシコが粘りながらブラジルの攻撃に耐え、カウンターで決定的なゴールをたたき出しても何の不思議もない。

 さて、3位決定戦に回る日本だが、相手が韓国ということで、モチベーションを新たにして臨んでくれるのではないか。

「試合が終わった直後、選手たちは落胆していたが、もう1試合あるので、そこに向けてメンタルとフィジカルの両面でコンディションを整え、みんなで戦っていきたい」と、関塚監督は言葉を結んだ。

「敗退」と報じたメディアもあるかもしれないが、負けて終わったわけではない。まだ価値ある試合は続く。五輪の準決勝敗戦は、銅メダルかメダルなしか、大きな違いが生まれる試合。ただの「3位決定戦」ではないのだ。

 あと90分間戦えば、準備期間からちょうど1カ月間になったこの長い戦いも終わる。そして2010年秋にアジア大会(中国・広州)を目指してスタートしたチームは、そこで歴史を閉じる。五輪に入って見せた攻守一体の見事なサッカー、前線からの守備をベースにした戦いと、それをやり抜くことでつかんだ自信をもういちど実現し、23歳以下で参加するようになって初めての五輪のメダルを日本に持ち帰ってほしいと思う。

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著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

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