“違い”をつくった清武のパスセンス=U−23日本 3−0 U−23エジプト

大住良之

永井の得点を演出したのは

日本にあって、エジプトになかったもの。それは清武(左)のタイミングを逃さない繊細なパスだった 【写真:ロイター/アフロ】

 息をのむような瞬間だった。

 前半14分、パスを受けたエジプトの左サイドバック、ラマダンに日本の右MF清武弘嗣(ニュルンベルク)が鋭く詰め寄った。足を出し、ラマダンからボールをかっさらった清武は、少しバランスを崩しかけたが、体勢を立て直しながら顔を振って中央を見た。そして前に流れたボールに追いつきざま、低いボールを送った。

 左から走ってきたのはFW永井謙佑(名古屋グランパス)。GKが出てくる。しかし、永井はマークするDFサミルを振り切り、そのスピードの頂点でボールに触れる。GKとサミルが接触して倒れ、永井は無人のゴールに楽々と蹴り込んだ。

 永井のスピードはこの大会で大きな衝撃となっている。スペインの守備陣をきりきり舞いさせ、モロッコのゴールをこじ開け、そして準々決勝で値千金の先制ゴールをたたき出したのだ。

 だが忘れてはいけない。モロッコ戦も、相手ハーフの広大なスペースに高さも距離も絶妙のボールを送り込み、永井の得点をアシストしたのは清武だった。

 右方向を向いたまま、清武が左前方のスペースにボールを蹴り上げたとき、わたしは「永井スペシャル」という言葉が浮かんだ。永井のスピードを最も生かすことのできるボール。永井が追いついてどんなシュートをするかも、ボールが上がった瞬間に見えた気がした。そして永井はそのイメージどおりに得点を決めた。

日本とエジプトの明暗を分けたもの

 スピードをもった選手は世界にいくらでもいる。しかしそうした選手を使いこなせる選手は多くはない。エジプトのFWモテアブや右サイドでプレーしていたMFサラーは2人ともスピードがあり、技術も非常に高いものをもっていたが、それが使われるのは、味方からボールを受け、自分で仕掛けるときだけだった。彼らのスピードを生かせるようなパスを出す選手はいなかった。

 先制点の場面で飛び抜けていたのは、パスのタイミングだった。永井を見て、瞬間的にワンタッチで蹴ることを選択したところに、清武の非凡な才能があった。そしてそれこそ、日本とエジプトの明暗を分けるものとなった。

 11人と11人で戦うサッカーは、無数と言っていい細かな状況が組み合わさってできている。ひとつのプレーに勝因を帰することなど不可能だ。日本の最大の勝因を挙げるなら、それはチーム一丸となっての守備だっただろう。前線からボールを追い回し、中盤で相手に自由を与えず、最終ラインの選手たちがまるで殺し屋のように相手FWに襲いかかってボールを奪う……。

 攻勢のときも劣勢のときも、日本の選手たちは1人も守備の手を抜かず、90分間戦い抜いた。そのなかでDF吉田麻也(VVV)、MF山口螢(セレッソ大阪)といった際だったプレーを見せた選手もいたが、チーム全体のハイレベルな組織的守備があったから、彼らも力を発揮できたのだ。

1/2ページ

著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント