山口螢と扇原貴宏、快進撃を支えるボランチコンビ

小田尚史

チームの中核に位置する2人

タイトなマークと危機察知能力で守備の安定に貢献している山口(右)。チーム快進撃を陰から支えている 【Getty Images】

 下馬評を覆して初戦でスペインを破り、勢いに乗って2戦目はモロッコも撃破。ベスト8進出を決めた、ロンドン五輪サッカー男子の快進撃が止まらない。5月に行われたトゥーロン国際大会での出来により懸念されていた守備は、オーバーエージの2人を加えて劇的に安定し、元々タレントぞろいとされていた攻撃陣も、大津祐樹に永井謙佑と試合ごとにヒーローが誕生している。

 その中で、チームの中核に位置するボランチで2試合連続スタメンを張っているのが、セレッソ大阪に所属する山口螢と扇原貴宏のコンビだ。特に出来が光ったのは山口で、2試合ともに影のMVPと呼べる活躍を見せた。タイトなマークと危機察知能力で守備の安定に一役買うだけでなく、効果的な攻撃参加も見せるなど、攻守でチームを支えている。

 扇原も、試合が進むごとに調子を上げている印象だ。スペイン戦では精度の高いキックでCKから大津の先制点をアシスト。モロッコ戦でも落ち着いてパスをさばいていた。DFラインの安定が彼のプレーにも好影響を与えている。最後尾からのパス出しもうまい吉田麻也の存在もあり、扇原が中盤で前向きにボールを受け、展開する回数が増えた。

クラブでは苦渋を味わう

 現在のU−23日本代表チームが発足した2010年秋、2年後の本大会で彼らがボランチでコンビを組むことは、想像ができなかった。山口は、2010年のアジア大会ではボランチのスタメンとしてチームの優勝に貢献したが、所属するC大阪に戻ればベンチを温めた。結局、プロ入り後の2009年から昨季までの3年間、C大阪ではレギュラーを奪えずにいた。

 扇原も、プロ生活は逆境からのスタートだった。ルーキーイヤーの2010年は、右ひ骨病的骨折の摘出手術により、シーズンの大半をリハビリに費やした。ロンドン五輪代表メンバーに選出された際、扇原は、「プロ1年目はけがもしたけど、地道にあきらめずに頑張ってきたからメンバーに選ばれたと思う。今はサッカーをできる幸せを感じている。けがをした時は焦る気持ちもあったけど、焦る気持ちを抑えながらリハビリも前向きに取り組めたことが、今につながった」と話している。

 その後、山口は、所属クラブでレギュラーをつかみ切れない時でも招集し続けてくれた関塚隆監督の期待に応える形で、アジア予選を通じて大いに成長。“フィジカルの強さを生かした対人守備とアプローチの早い寄せ”という現在のプレースタイルを確立したのは、五輪代表での活動を通してと言っても過言ではない。ロンドン五輪出場権獲得という成功体験で自信を深めた今季は、クラブでもプロ4年目にして初の開幕先発を勝ち取ると、その後もJリーグで好パフォーマンスを続けて五輪本大会に突入した。

 一方の扇原は、復帰した2010シーズンの終盤、技術の高さと鋭いパスで頭角を現すと、昨季7月、当時のC大阪の絶対的司令塔であったマルチネスのけがにより、クラブで先発の座をつかんだ。9月のアジア最終予選からは五輪代表でもボランチを任されると、得点に絡むプレーを連発し、見る者に鮮烈な印象を残した。

 だが、今季に入ってからの扇原のパフォーマンスは、万全とは言い難かった。Jリーグでのプレーも波が激しく、本来の力が発揮できなかった試合も少なくない。五輪代表チームの替えが利かない存在としてゲームメイクを任されたトゥーロン国際大会でも、本来の出来には遠かった。このころ、自身のプレーについて扇原は、「出来の悪い試合は視野が狭く、ボールを受ける位置も悪い。受ける位置が悪いと、前を向けなくなる」と分析。本大会に向けて、「まずは運動量を確保して、シンプルにプレーすることで前を向く意識を高めていきたい」と話して日本を出発した。

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著者プロフィール

1980年生まれ。兵庫県出身。漫画『キャプテン翼』の影響を受け、幼少時よりサッカーを始める。中学入学と同時にJリーグが開幕。高校時代に記者を志す。関西大学社会学部を卒業後、番組制作会社勤務などを経て、2009年シーズンよりサッカー専門新聞『EL GOLAZO』のセレッソ大阪、徳島ヴォルティス担当としてサッカーライター業をスタート。2014年シーズンよりC大阪専属として、取材・執筆活動を行なっている。

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