バーにはじき返されたポルトガルの夢=B・アウベスがあのまま蹴っていたら
あまりに残酷な終幕
PK戦4人目で登場したB・アウベス(白2番)のキックがバーをたたき、ポルトガルの命運は尽きた 【写真:ロイター/アフロ】
スペインの4人目、セルヒオ・ラモスがピルロをまねたのかどうかは分からないが、パネンカPK(編注:1976年の欧州選手権決勝でチェコスロバキアのパネンカが5人目のキッカーにもかかわらず、意表を突くチップキックでシュートを決めた。それ以来、PKにおけるこの種のキックは「パネンカ・キック」と呼ばれている)を決め、またしてもスペインがリードした。この時、4番手としてあらためて登場したB・アウベスの心の中で何が起こっていたのだろう。相手がチップキックでゴールするなら自分は思い切って蹴ってやろうか? その前のナニは左上隅だったから自分は逆の隅を狙ってやろうか? 本人に聞いてみないと分からないことだが、B・アウベスが蹴ったボールはバーを強くたたき、ピッチの中に戻ってきてしまった。あえて「たられば」を言うと、アウベスがあのまま3人目のキッカーとして蹴っていたら、違った結果もあり得たのではないか、そんなことを考えてしまう。
もしかしたらB・アウベスはキックの順番を間違えるくらい自らを失っていて、落ち着いてPKを蹴れるような心理状態にはなかったのかもしれない。いずれにしても、その瞬間、ポルトガル代表の冒険はほぼ終わりを迎えようとしていた。スペイン5人目のセスク・ファブレガスが蹴ったボールがポストの内側に当たり、そのままゴールになったとき、勝利の女神がどちらの国を勝たせようとしていたのかが明白になった。ポルトガルにとって、そしてPKを蹴ることさえできなかったクリスティアーノ・ロナウドにとって、あまりに残酷な終幕であった。
折れなかったポルトガルの心
だが、いまにして思えば、ポルトガルは最初にドイツと対戦してしまって良かったのかもしれない。勝ち点は「ゼロ」で終わったものの、残りの2試合を勝てば決勝トーナメント進出はできる。しかも、前評判の高かったオランダがデンマークを前につまずくという幸運もあったのだ。「2004年大会も初戦で敗れたが、その後は勝ち続け決勝まで行った」というC・ロナウドの言葉もただの強がりには聞こえなかった。初戦での敗北はあっても、逆に開き直れたポルトガルの選手たちの心は折れなかったのである。
第2戦のデンマーク戦。ゴールは決められなかったものの、C・ロナウドはけた違いの能力を見せつけ、勝利に貢献してみせた。2対0とリードしながら追いつかれるという展開には不安も覚えたが、途中出場のシルベストレ・バレラが決勝ゴールを決めるところなど、パウロ・ベント監督のさい配にもさえが見られた。かつてはポルトガルのカモだったデンマークだが、近年は苦手意識のようなものも生まれて始めていた。そのデンマークを下し、ポルトガルのエンジンがかかり始めた試合であった。
グループB、4チームすべてに勝ち抜けの可能性があった第3戦。ポルトガルの相手はすでに2敗を喫していた不調のオランダ。油断したわけではないだろうが、ポルトガルは先制を許してしまう。ラファエル・ファン・デル・ファールトの見事なゴールであった。だが、今大会のポルトガルはそのまま意気消沈したりはしなかった。すぐに反撃し、そしてついにC・ロナウドに待望の得点が生まれる。C・ロナウドのゴールは時間の問題と思われていたが、キャプテンが同点ゴールを決めればチームはさらに勢いづく。しかも、決勝点も同じC・ロナウドとなれば、ポルトガルはいよいよ手のつけられないチームへと変ぼうしていた。