バーにはじき返されたポルトガルの夢=B・アウベスがあのまま蹴っていたら

市之瀬敦

あまりに残酷な終幕

PK戦4人目で登場したB・アウベス(白2番)のキックがバーをたたき、ポルトガルの命運は尽きた 【写真:ロイター/アフロ】

 不思議な光景だった。ユーロ(欧州選手権)2012の準決勝、ポルトガルとスペインの「イベリア決戦」は120分間の戦いを終えて0−0のまま、PK戦に突入していた。両チーム、1人目のキッカーが失敗し、2人目が共に決め、順番は3人目であった。先攻のスペインはジェラール・ピケが思い切りの良いシュートを決めた。ポルトガルの次のキッカーは? 準備していたのは、この試合でもスペイン攻撃陣の前に厚い壁を築いていたブルーノ・アウベス。そのまま蹴ると誰もが思ったはずだが、急きょナニに変わった。突然の順番の交換。あまり目にしない光景である。ポルトガルの選手たちに何かあったのだろうか。アウベスは勘違いしていたのか。だが、何事もなかったかのようにナニは冷静にゴールの左上隅にボールを突き刺し、2対2のイーブンに戻した。ここまでは良かった。

 スペインの4人目、セルヒオ・ラモスがピルロをまねたのかどうかは分からないが、パネンカPK(編注:1976年の欧州選手権決勝でチェコスロバキアのパネンカが5人目のキッカーにもかかわらず、意表を突くチップキックでシュートを決めた。それ以来、PKにおけるこの種のキックは「パネンカ・キック」と呼ばれている)を決め、またしてもスペインがリードした。この時、4番手としてあらためて登場したB・アウベスの心の中で何が起こっていたのだろう。相手がチップキックでゴールするなら自分は思い切って蹴ってやろうか? その前のナニは左上隅だったから自分は逆の隅を狙ってやろうか? 本人に聞いてみないと分からないことだが、B・アウベスが蹴ったボールはバーを強くたたき、ピッチの中に戻ってきてしまった。あえて「たられば」を言うと、アウベスがあのまま3人目のキッカーとして蹴っていたら、違った結果もあり得たのではないか、そんなことを考えてしまう。

 もしかしたらB・アウベスはキックの順番を間違えるくらい自らを失っていて、落ち着いてPKを蹴れるような心理状態にはなかったのかもしれない。いずれにしても、その瞬間、ポルトガル代表の冒険はほぼ終わりを迎えようとしていた。スペイン5人目のセスク・ファブレガスが蹴ったボールがポストの内側に当たり、そのままゴールになったとき、勝利の女神がどちらの国を勝たせようとしていたのかが明白になった。ポルトガルにとって、そしてPKを蹴ることさえできなかったクリスティアーノ・ロナウドにとって、あまりに残酷な終幕であった。

折れなかったポルトガルの心

 今からおよそ3週間前。ポルトガル代表の下馬評はけっして芳しいものではなかった。なにしろ今年に入ってから1試合も勝てていなかったのである。「死の組」を勝ち抜くのは困難。よくて大会のダークホースといった位置づけであった。実際、グループリーグの初戦でドイツに0対1で敗れると、ポルトガルに対する見方はさらに厳しくなった。

 だが、いまにして思えば、ポルトガルは最初にドイツと対戦してしまって良かったのかもしれない。勝ち点は「ゼロ」で終わったものの、残りの2試合を勝てば決勝トーナメント進出はできる。しかも、前評判の高かったオランダがデンマークを前につまずくという幸運もあったのだ。「2004年大会も初戦で敗れたが、その後は勝ち続け決勝まで行った」というC・ロナウドの言葉もただの強がりには聞こえなかった。初戦での敗北はあっても、逆に開き直れたポルトガルの選手たちの心は折れなかったのである。

 第2戦のデンマーク戦。ゴールは決められなかったものの、C・ロナウドはけた違いの能力を見せつけ、勝利に貢献してみせた。2対0とリードしながら追いつかれるという展開には不安も覚えたが、途中出場のシルベストレ・バレラが決勝ゴールを決めるところなど、パウロ・ベント監督のさい配にもさえが見られた。かつてはポルトガルのカモだったデンマークだが、近年は苦手意識のようなものも生まれて始めていた。そのデンマークを下し、ポルトガルのエンジンがかかり始めた試合であった。

 グループB、4チームすべてに勝ち抜けの可能性があった第3戦。ポルトガルの相手はすでに2敗を喫していた不調のオランダ。油断したわけではないだろうが、ポルトガルは先制を許してしまう。ラファエル・ファン・デル・ファールトの見事なゴールであった。だが、今大会のポルトガルはそのまま意気消沈したりはしなかった。すぐに反撃し、そしてついにC・ロナウドに待望の得点が生まれる。C・ロナウドのゴールは時間の問題と思われていたが、キャプテンが同点ゴールを決めればチームはさらに勢いづく。しかも、決勝点も同じC・ロナウドとなれば、ポルトガルはいよいよ手のつけられないチームへと変ぼうしていた。

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著者プロフィール

1961年、埼玉県生まれ。上智大学外国語学部ポルトガル語学科教授。『ダイヤモンド・サッカー』によって洗礼を受けた後、留学先で出会った、美しいけれど、どこか悲しいポルトガル・サッカーの虜となる。好きなチームはベンフィカ・リスボン、リバプール、浦和レッズなど。なぜか赤いユニホームを着るクラブが多い。サッカー関連の代表著書に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社)。『砂糖をまぶしたパス ポルトガル語のフットボール』。『ポルトガル語のしくみ』(同)。近著に『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(ぎょうせい)

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