被災地を支え、被災地に支えられるベガルタ仙台=東北の「光」から「シンボル」へ

小林健志

今季のベガルタは開幕直後から首位を維持している。第14節の札幌戦では、柳沢(左)がユアスタで初めてゴールを挙げた 【写真は共同】

 6月16日、J1リーグ戦が再開した。ベガルタ仙台はコンサドーレ札幌に4−1と快勝し首位をキープしている。東日本大震災から1年3カ月、今も継続的な被災地支援活動を行うとともに、被災地の「希望の光」となることを目指してきたベガルタ仙台は、昨シーズン以上にサッカーの質を向上させ、快進撃を続けている。被災地支援を通じ、逆に被災地の方々から支えられていることを実感した選手たちは、そのパワーをピッチで存分に表現している。

堅守速攻から攻撃力を向上させ、首位を快走するベガルタ

 16日の第14節・札幌戦。この日もユアテックスタジアム仙台(以下ユアスタ)にはベガルタサポーターの笑顔が溢れていた。前半は札幌の守備陣が集中しており、なかなかゴールを奪えなかったが、30分過ぎから猛攻を仕掛けたベガルタは、アディショナルタイムに昨シーズンに加入してからいまだユアスタでゴールを決めていなかった柳沢敦のゴールで先制。後半開始早々にも太田吉彰のクロスから柳沢が再びゴールを決めた。その後アクシデント的なオウンゴールで1点差に詰め寄られたが勢いは止まらず、梁勇基のクロスからウイルソンのヘディングシュート、さらに梁のコーナーキックから中原貴之のヘディングシュートが決まり、4−1と快勝。待望のユアスタでの柳沢のゴール、そして長らくリハビリに苦しみ、リーグ戦のゴールから遠ざかっていた中原のゴールなどFW陣のゴールラッシュに、スタジアムは大いに沸いた。

 これで勝ち点30に乗せてベガルタは首位を維持。昨シーズンは「堅守速攻」が持ち味の守備的なサッカーだった。しかし、今シーズンはスピードのあるセンターバック上本大海の獲得により、ある程度ディフェンスラインを高く上げても、相手のカウンター攻撃に対してリスクマネジメントが取れるようになったため、攻撃に人数を割けるようになった。また、新外国人FWウイルソンの獲得もあり、攻撃力が大きく向上。チーム内の競争激化で選手のモチベーションも向上し、どういうメンバーで試合に臨んでもチーム力が大きく落ちず、選手層も厚くなった。

 1年3カ月前、震災に襲われた街のクラブは、震災に負けずに地道に少しずつ力を付け、ついにJ1優勝争いを引っ張ろうとしている。現在のユアスタには震災前以上の熱狂、盛り上がりが見られている。

シーズン中に復興ボランティア活動も

 ベガルタは、震災から1年を経過した今も、被災地支援活動を継続的に行っている。仙台市市街地こそ日常を取り戻したようには見えるが、宮城県沿岸部の復興はいまだ見通しが立たず、新しい街づくりはなかなか進んでいかない。内陸部でも丘陵地の地滑りが起きた場所での集団移転などはまだこれからといった状況だ。全国的には震災に関する報道は下火になってしまったが、宮城県では震災復興はまだ継続的な課題であり、現実的な問題である。だからこそ被災地のJクラブであるベガルタとして、できる限りの被災地支援を行っている。

 クラブは昨シーズンより「宮城・東北Dream Project」と題し、スポンサー企業やサポーターから出資を募り、東北の子どもたちを試合に招待している。被災地からユアスタまでバスの送迎を行い、多くのお土産や選手たちとふれあえるイベント付きである。札幌戦では宮城県松島町・東松島市から90名を招待した。招待された子どもたちも次々とゴールが決まる素晴らしい試合を心ゆくまで楽しんだことだろう。

 実際にプレーをする選手や監督、スタッフも昨シーズンに引き続き今シーズンも継続的な支援活動を行っている。リーグ戦が中断中の6月1日には、今シーズン初めて監督、スタッフ、選手全員で宮城県七ヶ浜町を訪れた。町内のグラウンドで地元の保育園児とふれあい、その後は少人数のグループに分かれて、仮設住宅を訪れてお年寄りの方々らとふれあった。

 クラブフロントも、監督、スタッフも、選手たちも、決して震災を風化させず、被災地に元気を与えるため支援を続けているのだ。

1/2ページ

著者プロフィール

1976年、静岡県静岡市清水区生まれ。大学進学で宮城県仙台市に引っ越したのがきっかけでベガルタ仙台と出会い、2006年よりフリーライターとして活動。各種媒体でベガルタ仙台についての情報発信をするほか、育成年代の取材も精力的に行っている

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント