国民の期待に応えたポーランドの勇気に拍手=ポーランド 1−1 ロシア

後藤健生

国民感情が刺激される戦い

ロシアに先制点を許す苦しい展開だったが、ポーランドはブラシュチコフスキ(右)の同点ゴールで引き分けに持ち込んだ 【Getty Images】

 ワルシャワのショパン空港に到着してバスで市内に向かうと、まず目に飛び込んでくるのが「文化科学宮殿」である。1950年代にソ連政府がポーランドの共産主義政権のために建設したもの。「スターリンの贈り物」と言われている巨大建築だ。最近は周囲に数多くの近代的なビルも建てられているが、今でも高さ231メートルのスターリン式ゴシック建築はワルシャワ一番の高さを誇っている。もちろん、ポーランド人はこのビルが大嫌いで、「ここの展望台は最高だ。なぜなら、文化科学宮殿が見えないから」というのは、この国の最も古典的なジョークである。

 ポーランドというかつての東欧の大国は、18世紀末に新興のロシアやプロイセン、オーストリアに分割され、国土を失った歴史を持つ。そして、第2次世界大戦後にはソ連の支配下に置かれた記憶がある。

 今は、「普通の隣国」となった両国だが、この重要な大会で直接対決したのである。国民感情が刺激されないわけはない。ロシア・サポーターが喚声をあげる度に、ポーランド人たちの鋭い口笛にかき消される……。そんな雰囲気の中で、両国の選手たちが熱い気持ちを持って試合に臨んだことは当然のことだ。

主導権を握ったのはロシア

「特別にハイレベルな試合」というわけではなかったかもしれないが、最後まで集中が途切れることなく、双方が全力を尽くした濃密な90分間だった。

 技術的に正確でしっかりパスをつないでくるのはソ連時代からのロシアの伝統だ。一方のポーランドは、いつの時代にも鋭いカウンターアタックで戦ってきた。

 フォーメーションやシステムは時代とともに変わっても、そういう各国のサッカーの特徴というものは、そう簡単に変化するものではない。

 フルパワーで攻め合った20分間の時間が経過した後は、当然のようにポゼッションでロシアが上回り、ポーランドがカウンターで対抗する流れになり、ロシアが主導権を握って試合が進んだ。

 中盤のデニソフ、ジリアノフ、シロコフがしっかりとゲームを作り、両サイドのアルシャビンとジャゴエフが崩して、トップのケルジャコフに合わせる。機械のように正確な攻撃だった。そして、ロシアの攻撃に対して、ポーランドのセンターバックのペルキスとバシレフスキが対応できず、いや、ケルジャコフに翻弄(ほんろう)されるような場面すら生まれる。

 37分には、ロシアに待ちに待った先制ゴールが生まれた。アルシャビンが左から入れたFKをシロコフが頭に当てて角度を変え、最後方から走りこんできたジャゴエフが頭で合わせたボールがポーランドゴールに飛び込んだ。シロコフに対してしっかりと競りに行かずにヘディングを許したバイレフスキと、ジャゴエフに付いて行かなかったピシュチェクのミスだったか。

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著者プロフィール

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、観戦試合数はまもなく4800。EURO(欧州選手権)は1980年イタリア大会を初めて観戦。今回で7回目。ポーランドに初めて行ったのは、74年の西ドイツW杯のとき。ソ連経由でワルシャワに立ち寄ってから西ドイツ(当時)に入った。

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