バレーボール界に疑問を投げ掛ける堺ブレイザーズ=地域密着型クラブとしての挑戦(1)
熱狂的な堺ブレイザーズのファン
収容人数は1500名ながら、そのスタンドはチームカラーである黄色に染まり、立ち見客も出た。熱気であふれ返った体育館には、ブレイザーズが得点を挙げるたびに応援グッズであるハリセンの音が響き、ファインプレーが出るとあちらこちらから自然と歓声が上がる。ファンが1シーズンに8試合しかないホームゲーム(うち2試合は第二フランチャイズ)を心待ちにし、楽しんでいる様子がひしひしと伝わってくる。
東レアローズ、パナソニックパンサーズ、サントリーサンバーズといった有名企業のバレーボール部がリーグ戦の上位に名を連ねる中、堺ブレイザーズはVプレミアリーグに所属するチームの中でも稀(まれ)な、母体企業を持たない地域密着型スポーツクラブである。自チームの主催で行われるホームゲームの入場料は、クラブにとって大きな収入源だ。最終節のパナソニック戦は、だからこそ勝ちたい一戦だった。敗れた試合の後、石島に「お客様に試合を見に来てもらうために必要なことは何か」と尋ねると、間髪入れずにこんな答えが返ってきた。
「まずは勝つこと、とにかく勝つことです。でも、もしそれがかなわないときには、最後まで諦めず、勝ちたいという思いを全面に出してプレーすることです。でないと、入場料を払って見に来てくださった人は納得しないし、また次も来ようと思ってもらえないと思います」
地域密着型スポーツクラブとしての再出発
「ブレイザーズの代表としてここにいるんだという思いと、少しでもメディアを通じてブレイザーズの名前をピーアールできればと思って……」
今でこそ改善されたが、石島が初めて代表入りを果たした06年当時、全日本の試合中継では選手の所属チームを紹介する習慣がなかったからだ。
そもそも堺ブレイザーズの誕生は2000年にさかのぼる。ブレイザーズの母体であった企業、新日鉄は折からの業績悪化に伴い、すべてのスポーツ部に対して活動の見直しを通達した。休部とするか、それとも地域密着型スポーツクラブとして自立するかの選択を迫られる中、男子バレーボール部は名称を堺ブレイザーズとし、堺市を拠点とするクラブチームへと生まれ変わった。
一昨年、クラブ創立10周年を迎えたが、ここまでの道のりは決して平たんではなかったと、発足時、陣頭指揮を執ったブレイザーズスポーツクラブの専務取締役の小田勝美は振り返る。
「初めは3〜4年でつぶれるんやないかと思っていました。そんなに簡単にお金は集まらんと思っていましたからね。まず、強くないとスポンサーになろうという会社もないでしょう」
今シーズンも含め、5シーズン連続でセミファイナルに進出。昨年度は東日本大震災により途中でリーグが打ち切りとなったが、その時点での順位を考慮し、暫定王者にも輝いた。強さという点だけでいえば、協賛企業にアピールするために十分な成績を残しているように見える。しかし、1シーズンにわずか28という試合数(今シーズンは21試合)や、Vリーグ全体のメディアへの露出の少なさが足かせとなり、スポンサー獲得にはいまだに苦労しているのが現状だ。