箱根から巣立つ柏原竜二、「全力」を出し続けた4年間と描く未来=箱根駅伝

加藤康博

周囲からの重圧……苦しんだ3年時

柏原(中央)は多くの仲間に支えられ、4年時にはキャプテンとしてチームを引っ張った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 しかし、その競技生活は順風満帆とはいかなかった。

 大学3年時は春から体調が上がらず苦しんだ。また、箱根駅伝での活躍により、周囲の注目を浴びることに戸惑いも感じていた。「自分は普通の大学生」と思っていても、周りはそうは見ない。そのことに悩み、陸上をやめようと思ったことが何度もあるという。

 だが、チームの仲間に支えられ、自分も心から好きだという「走ること」に集中し、その楽しみ方を再確認していった。そんな中迎えた、3年時の第87回箱根駅伝(2011年)は、区間賞こそ獲得したものの区間記録を更新できず、東洋大の3連覇も果たせなかった。

「負けず嫌いは相当なものがある」と自らが認める柏原。大学最後の挑戦として「箱根で勝って卒業したい」と自らの目標を設定した。チームのキャプテンに就任し、4年目を迎えることになった。

大記録樹立で有終の美を飾る

柏原は自らの区間記録を塗り替え、4年連続往路のゴールテープを切った 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 キャプテンとなった4年生。2011年3月11日の未曾有の大災害、東日本大震災により新年度の始動は遅れた。

 柏原自身も実家のある福島県が被災し、「チームの中でも僕が一番自分を失っていた」という時期もあった。しかし、いわき総合高時代の恩師、佐藤修一監督の「皆を勇気づけられるのは、お前にしかできないこと。走ることで、応援してくれる人は笑顔になってくれるはず」との言葉で、競技への集中力を取り戻した。そして、夏には「4年間のなかで一番」という練習量をこなし、「走ることを純粋に楽しめている」と笑顔を見せる機会も増えていった。

 その練習の成果もあってか、出雲駅伝(2011年10月、島根)、全日本大学駅伝(2011年11月、愛知〜三重)と学生駅伝ではレースを走るごとに調子を上げ、迎えた今大会、5区のたすきをトップで受けた。過去3大会ではなかった展開だ。しかし、自分の前に走る選手が誰もいない中でも、柏原の「全力」は如何(いかん)なく発揮される。一度も後ろを振り返ることなく、ただ前だけを見据えて走り続け、1時間16分39秒の大記録を樹立した。そして、チームも箱根駅伝の総合新記録で優勝旗を奪還したのだ。

「マラソンで世界と戦う」、新たな目標へ

 今年を最後に柏原は箱根駅伝から巣立ち、実業団に進む。

「マラソンで世界と戦うことを目指します。実業団1年目は下地作りから。そのために何をやればいいのか、自覚を持って取り組んでいきたい」

 箱根駅伝の創始者、金栗四三氏は「世界に通用するマラソンランナーを育てたい」という思いでこの大会を作った。今回3回目の金栗四三杯(最優秀選手賞)を獲得した柏原の視線も、確実に世界を向いている。そのステージにもう山はない。世界のマラソンは平坦なコースでのスピードレースが主流だ。その新たな舞台にどう立ち向かうか。きっとこれまでと変わらず自ら高い目標を設定し、それに全力で挑むに違いない。

 世界の頂は間違いなく、箱根の山より高い。柏原にとってのチャレンジは、これからが本番だ。

<了>

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著者プロフィール

スポーツライター。「スポーツの周辺にある物事や人」までを執筆対象としている。コピーライターとして広告作成やブランディングも手がける。著書に『消えたダービーマッチ』(コスミック出版)

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