元王者ライコネン、3シーズンぶりのカムバック=F1 “アイスマン”の素顔と復帰までの舞台裏

船田力

ラリーへの転身、F1への復帰。その舞台裏

07年、最終戦ブラジルGPで優勝し、逆転で年間王者を獲得した 【Getty Images】

 状況としてはライコネンはフェラーリを離れるしかなかった。ルカ・ディ・モンテゼモーロ(フェラーリ会長)はフェルナンド・アロンソ獲得に動いていたし、フェリペ・マッサもジャン・トッド(フェラーリ元監督)の置き土産で、そう簡単には切れない。ふたつしかないシートを、3人のドライバーが争うという状況に陥ってしまったのだ。だからこそ一時期、フェラーリは3台参戦というアイデアをプッシュしていたと推測している。

 結局ライコネンはフェラーリを離脱するが、マクラーレンのルイス・ハミルトンのチームメイトになるという選択肢は選ばなかった。同等の速さを見せていたレッドブルはもともとレッドブルドライバーにしか興味がない。だから、ライコネンとしてはタイトルも取ったし、あまり未練もなくF1継続の道を断ち切ったんだろうと思う。その後WRC(世界ラリー選手権)に転身。今年は”ICE1レーシング”というチームを作って、コ・ドライバー(※ナビゲーター)やスタッフの給料なども自ら払っていた。今回の復帰の背景に、F1で稼いだお金を使い果たして金策に走ったとのニュースもあったが、それは大きな理由ではないだろう。

戻った情熱「ほかのクルマと戦いたくなった」

再び歓喜の瞬間を迎えることはできるのか 【(C)Getty Images/AFLO】

 復帰の決め手となったのは、彼自身がレースへの情熱を再確認したからだ。そのきっかけが5月のNASCARネイションワイドシリーズの参戦だった。米国・ノースカロライナにはライコネンの家族も応援に駆けつけていたそうで、その時帯同していた知人のフィンランド人ジャーナリストによれば、ライコネンと家族は『まるでF1のデビュー戦の時のようにドキドキするね』と全員で楽しんでいたそうだ。

 ライコネンはここでスイッチが入ったんだと思う。実際、彼はF1復帰の理由に、『タイムと争うのではなく、直接ほかのクルマと戦いたくなった』と話している。今年のF1を見ても、ピレリタイヤのおかげで戦略にも幅もでき、DRS(可変リアウイング)でオーバーテイクも増えた。純粋にドライバーとしてレースを楽しめると思ったのではないか。

 そうしてライコネンは、12年のシートがまだ埋まっていないチームから模索した。そのひとつがウイリアムズ。

 ウィリアムズとしては、投資家にアピールするためにライコネンは欲しかった。一方、ウィリアムズの戦闘力に不安を持っていたライコネンは、他チームにもアプローチしていた。ただ現実的な選択肢として、ウィリアムズとロータスが残り、その両者を比較すると総合的にロータスの方が力があると判断したのだろう。ロータスはその前身であるベネトンやルノー時代でも勝てるクルマを作れるチーム。ここ数年、レッドブル、マクラーレン、フェラーリ以外で勝ったのはロータスとブラウンGP(現メルセデスGP)だけだ。

思惑が一致したロータスへの復帰

 一方、ロータス側としても負傷から復帰を目指すロバート・クビサに変わるエース級のドライバーを望んでおり、ライコネンは願ってもないドライバーだろう。まさにライコネンとチームの思惑は一致している。

 ライコネンはF1デビューのチャンスをくれたザウバーで1年過ごしたあと、マクラーレンに5年、フェラーリに3年とキャリアのほとんどをトップチームで過ごしており、デビュー年以来の中団チームが復帰先になるが、2年のブランクから慣れていくためにはいい環境になるはずだ。僕は勝てないクルマに乗っているときこそ、ドライバーの真の力が試されると思っている。

 ただ、相変わらずのエピソードもある。

 先日ル・マン・シリーズのクルマをテストしたとき、レギュラードライバーのアンソニー・デビッドソンのタイムをあっという間に更新してみせたが、クルマを降りるとさっさと携帯電話をいじりだして、エンジニアとのデブリーフィング(※乗車後に行われる技術的な報告会)には興味を示さなかったという。まあ、本人としてル・マン・シリーズは本気ではなかっただろうし、あらためて自分の力を確認するいい機会ぐらいにしか思っていなかったのかもしれない。ともかく本人はどう思われようが、周りのことはまったく気にもしていない。ライコネンはやはりライコネンである。

 彼が帰ってくることで、12年は00年ミハエル・シューマッハ(メルセデスGP)以降、年間タイトルを獲得した6人全員がそろうことになった。

 まさに夢のラインアップである。


<了>

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著者プロフィール

1974年生まれ。神戸育ち。高校卒業後アメリカに留学。専攻は芸術(アクリル絵)でコルビーソイヤー大学卒業後、インディアナ州立大学大学院を中退して日本に帰国。F1は好きだし、英語が役に立てばとコンビニで見つけた「F1レーシング日本版」誌の編集部にアポなしで訪れそのままアルバイトで採用される。その後、当時三栄書房から発行されていたF1雑誌「AS+F」誌の編集部員となる。三栄書房とニューズ出版のモータースポーツ関連部署が合併したイデア設立後は、「レーシングオン」誌と「AUTOSPORT」誌で副編集長、「F1速報」誌と「F1レーシング日本版」誌の編集長などを務めた後2009年秋にフリーとなり、2010年からF1の全レースを取材中。現在はF1速報誌で“痛快! カムイ伝−小林可夢偉のF1合戦記”の連載を執筆。テレビではフジテレビNEXTの金曜フリー走行2回目を現場からナマ解説、さらには川井一仁氏とDVDの解説なども務めている。

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