川崎憲次郎が振り返る現役時代の栄光と挫折
柔らかな笑顔で現役時代を振り返った川崎氏 【写真:江藤大作】
日本シリーズ登板前に野村監督から送られた言葉
あのときはうれしかったよ。前の年もチームは日本シリーズへ進んだけど、オレはひじを痛めていたからスタンドから観戦していた……。だから初めて出られたときは、悔しさからつながるうれしさとか楽しさが爆発した。この感覚は野球だけじゃなくて、サラリーマンでも料理人でもみんなが持っている感覚だと思うよ。挫折を乗り越えるうれしさはみんな一緒だよね? まさにうれしさ爆発。「ウォーッ」って(笑)。
――川崎さんは第7戦にも登板し、ヤクルトにとって15年ぶり2度目の日本一に貢献しました。自身もカムバック賞を受賞。でも本番はかなり緊張したのでは?
前年の日本シリーズで負けた相手、西武と3勝3敗で試合を迎えた。ここで勝つか負けるかはエライ違いだよ! 第7戦で投げるなんて「マジかよ!」といううれしさもあるし、責任も半端じゃない。相当なプレッシャーがあった。日本一になるのか、前年と同じ2位になっちゃうのか。日本一と2位は雲泥の差だから。
――すさまじい重圧をどうやって乗り切ったのですか?
ノムさん(野村克也監督)が試合前に呼んでくれて……。普段は喋ったこともないのに「オマエのピッチングをしろ。勝つか負けるかは時の運だからそれはいい」と言ってくれた。楽になったね。
――直球で勝負する。当時はこれが川崎さんのスタイルでしたよね?
ノムさんにはずーっと前から「シュートを投げろ」「ホームランバッターのオレでもシュートは打てなかった」と言われていた。投手全員に言っていたけど誰一人覚えなかった。オレは球速が150キロくらい出ていたし、真っすぐはオレの命。「真っすぐで三振を取る」という思いがあった。
強気・負けん気・やる気。ほとばしる勢いで押しまくり、エース投手の座についた。気迫と才能だけで乗り切る。根拠は分からないけど誰にも負けない自信を持っている。そんな“ヤンチャ”な時代を経験している人は幸せだ。
『本格派』の自分を捨ててシュートに挑戦
ひじの故障(95年オフ手術)もあったし、30歳近くになっていた。球速は変わらないのに、真っすぐで空振りが取れなくなって……。勢いとかキレとか力が落ちたとき、ノムさんの言葉を思い出した。ひじや肩を壊すかも……という不安はなかったね。どうせ自分を変えていかないといけない。自分を変えるときだった。だから不安や邪念は一切捨てた。
――巧みなコントロールで操る変化球。川崎さんの代名詞になったシュートを武器に、“巨人キラー”と称されました。
みんな面白いように詰まるし、1球で決まる。全イニングで三振を取るには81球(3球×3打者×9回)いる。シュートだと1球で決まるから27球(1球×3打者×9回)でいい。「エコだな。体には良いな」と。実際に球数が減ってフォアボールも激減した。でも、三振の数も激減した。
――真っすぐで押す『本格派』を捨てて、変化球で打ち取る『技巧派』へ。自分のスタイル=哲学を変えるのは、かなり勇気が必要だと思うのですが?
何かを捨てないと、新しいものは生まれないんだよね。三振にこだわっていた自分を捨てて、いかに内野ゴロを打たせるかにこだわった。全部をうまくやろうと思うと失敗する。何かを捨てないと自分のものにはならない。だから新しい楽しみへシフトした。三振を取ったときの打者の顔も楽しみだったけど、詰まって「うわっ、何でバットを折っているんだ!」という打者の顔を見るのが楽しみになってきた(笑)。
――98年には17勝を挙げて最多賞・沢村賞を獲得。何かに挑戦するとき、そこに楽しみを見出すことが成功につながるのでしょうか?
何かを捨てた分、シュートが生きてきた。それは間違いない。楽しみをシフトしたからこそ、それができた。やっぱり相当、勇気いるよ。今までの自分を捨てるのは……。でも捨て切れたあとは気が楽になったね。自分の中に、新しさを一緒に見つけることができたから。
何かを捨てて、空いたスペースに新しいものを取り入れよう。古くなったモノや考え、固定観念、人脈……。風通しが良くなると、ゆとりが生まれる、新しいことを吸収するエネルギーが沸いてくる。