松下浩二が卓球界で常に1番だった訳 「1番にならないと、世の中は認めてくれない」

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自分の進む道を模索するとき、決して“流れ”には逆らわない。

「決して“流れ”には逆らわない」。成功と挫折を両方経験しているからこそ、説得力がある言葉だ。 【写真提供:オリコンDD】

――40歳。現役選手を続ける社会人でありながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で学んだ理由は?

 日本卓球協会の関係者が筑波大の大学院へ通っていた。僕が違う大学へ行けば、また別の角度から勉強できるだろうし、卓球界にとって違う人脈ができると考えたんです。たまたま早大の平田竹男先生を紹介してもらったとき、「僕に“行け”という流れなんだろうな」と感じて、受験しました。

――五輪後にプロになり、解雇されてドイツ移籍。人とのつながりで大学を選択。自分に起こった出来事を、上手に“転機”として捉える人ですね。

 僕は流れには逆らわない。逆らったらダメだと思っているんですよ。悪い流れも良い流れも、流れには逆らったらダメ。いつもそう思っている。悪い流れのとき、バタバタ動いても良くはならない。だから悪あがきはしない。良い流れが来るまでじっと我慢する。良い流れになったとき、すぐにバーンと行けるような準備をしておく。

――流れが悪いときは動かず、良い流れが来るのを待つんですね。

 流れが悪くなったら、基本的には動かない。これは卓球で勉強したことです。ゲームの中では“流れ”というものがある。自分の流れが悪いとき、リズムが落ちていくのを食い止めていくためには我慢しかない。「何とかポイントしよう」と思ってもなかなかできない。そこは我慢。焦りはメチャメチャ禁物です。流れが良くなったときにどれだけジャンプアップできるか、流れに乗って上に行けるか、そのための準備をしておけばいい。

――この流れは良いのか、悪いのか、判断する材料は?

 自分がやりたいか、やりたくないか。やることが社会にとって良いことか、悪いことか、僕の選択はそれだけです。シンプル、シンプル。

――良い流れのときは、人との素敵な出会いがあるはず。松下さんは人に「教えて」「助けて」と頼れる人ですか?

 できますね。それに恩は倍返しで返したい。日本人として義理人情は大切にしないと……。今回、助けてもらったら、次回は倍に返せる人間になりたい。


悪い流れの中でじっと耐えることは、とてつもないパワーがいる。大切なのは良い流れを引き寄せられる、と信じる力だ。自分を信じて準備する。人を信じて謙虚に接する。そうすればきっと流れは変わる。

輝かしい32年間の競技生活。その後に新たな夢をつかむには?

――プロ、ブンデスリーガ、選手のマネジメント会社設立。常に“1番手”を担ってきました。おかげで、後輩たちは整った環境でプレーできています。

 卓球界を良くしたいな、と。後輩にマネジメントしてあげたい。卓球をもっと世の中に広げたい。現役生活が終わった選手がセカンドキャリアをすんなりとやっていけるようにしたい。そう思っています。

――卓球用品メーカーの社長に就任。売上も順調に伸びているそうですね。

 正しいことを正しくやればいい。人に喜んでもらえることをやる。それだけですよね。人から後ろ指を指されることはしちゃダメ。人をだましてまで……というのはダメ。特にスポーツメーカーやスポーツで成り立っている事業は『平和産業』。平和だからやっていける。だから、みんなが喜んでくれるものをやればいいんですよ。

――会社の売上500億円を達成、卓球界のプロリーグ発足という大きな夢に向かって走り続けています。

 色んなことをやってきたけど、これからもっとやっていく。まだ序盤。人生250ページの内のまだ30ページくらい。何だか楽しくなりそうなんですよね。

――社長として仕事を覚えるまで年間365日、一日も休まなかったそうですね。

 おかげで良い流れになってきた。もっとやらなきゃ!一年が倍くらいあればいいな。「もう8月か!いまが1月くらいだといいのに」と思うこともある(笑)。でも人間は時間が決まっているから一生懸命やるんだろうね。もし一日が30時間になっても、増えた6時間はダラダラしちゃうだろうな。200歳まで寿命が伸びたら、「まだまだある」と思ってしまう。

――時間が長いと、油断してだらけてしまう?

 時間の長さは決まっている。一生の長さも決まっている。だからこそ一生懸命にやる。一生は短いことに気づくかどうか。僕は短いと思っているから、「これもやらないといけない。あれもそれも…一日一日を大事にしよう」と思っています。一生は長いと思うと「明日でいいや」ってなるでしょ?明日に回すなんてもったいない(笑)。


トップ選手でありながら、常に報道陣へ快く対応し、定期的に卓球講座を開いたのはなぜか?自身は出場を逃した北京五輪の直前、卓球イベントを企画し、後輩選手のためにマネジメント会社を設立。現在はプロリーグ開拓を模索しているのはどうしてか?マイナースポーツである“コンプレックス”が、「競技の素晴らしさを伝えたい」「環境をもっと良くしたい」と願う“エネルギー”に変換される。ハングリーだが狡猾(こうかつ)さがない。真のリーダーシップを持つ松下がいる卓球界がうらやましい。

松下浩二プロフィール

“コンプレックス”をエネルギーに。そうした発想の転換ができたからこそ、彼は今もなお、夢を追いかけ続けている。 【写真提供:オリコンDD】

1967年8月28日、愛知県豊橋市出身。元卓球選手、日本を代表するカットマン。 
8歳のとき双子の弟・雄二と卓球を始める。桜丘高を経て明治大学へ進学。大学1年で世界選手権ニューデリー大会出場。22歳で世界選手権ドルトムント大会出場。スウェーデンのリーグ参戦。90年、協和発酵へ入社。93年、日産自動車へ移籍。“レジスタードプロ”制度を利用して日本卓球界初のプロ選手となる。全日本選手権シングルス初優勝。95年グランプリへ移籍。全日本選手権でシングルス2度目の優勝。96年アトランタ五輪出場。シングルスでベスト16、ダブルスでベスト8。97年世界選手権マンチェスター大会でダブルス銅メダル獲得。8月からドイツのブンデスリーガ2部プリューダーハオゼンへ移籍。98年ブンデスリーガ1部の名門、デュッセルフドルフへ移籍。2000年欧州チャンピオンズリーグ優勝に貢献。フランス1部リーグのセスタス移籍。世界団体選手権クアラルンプール大会で日本男子15年ぶりの銅メダル獲得。シドニー五輪単ベスト16。01年、全日本社会人で初優勝、全日本選手権シングルスで3度目の優勝。02年、全日本選手権2連覇。07年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程合格。世界選手権ザグレブ大会出場。08年、現役選手として初めて日本卓球協会の理事就任。
 09年1月、41歳で現役引退。10年から卓球用品メーカー「ヤマト卓球」の代表取締役社長、JOCアスリート委員会理事として活躍。

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