松下浩二が卓球界で常に1番だった訳 「1番にならないと、世の中は認めてくれない」

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“1番”にこだわり続ける松下。逆境に陥っても、“頑張るための起爆剤”と発想を転換した。 【写真提供:オリコンDD】

 マイナースポーツの卓球界で、常に先陣を切って生きてきた。安定したサラリーマンの地位を捨てて『プロ』になり、解雇されてからは『海外トップリーグへ移籍』。ともに日本人初の快挙だが、破天荒に見えながら自分と周囲をしっかりと見渡して勝負に挑んだ。
 トップ選手として20年輝いた日々を送ってきたが、その先にはすでに新たな夢がたくさんある。人生は“始めよう”と思った瞬間から、何でも何度でもやり直せるのだ。彼といると“きっと大丈夫”。仲間はそう信じて付いていける。

誰もが納得する存在―“1番”にこだわり続ける理由

――92年バルセロナ五輪に出場した翌93年、日本卓球界でプロ1号になって、着実に実績も積んでいた。でもなぜか、世界選手権の“日本代表”からは外されました。
 
 4月にプロ宣言して、5月の世界選手権イエテボリ(スウェーデン)大会の代表メンバーから外された。「エーッ、マジで?ウソだろ?何かの間違いじゃないか?」と思いましたね。外された理由は「若手に切り替えるから」と。そのときは25歳。当時は20代中盤になったら「もう若手ではない」と言われた時代。でも僕は世界ランキングが日本人2位と高かった。直前の五輪にも出た。でも自分よりランキングが低い高校生や大学生が“若返り”で選ばれた。

――結果を残しているのに代表から落とされるなんて屈辱ですよね?
 
 「今まで日本のために頑張ってきたのに…」という気持ちもあったけど、外されたことが良かった!「やっぱり1番にならないと、世の中は認めてくれない。2番、3番じゃダメだ」ということを勉強できましたね。1番であれば誰も文句を言わないし、外せない。人が話を聞いてくれる。影響力もある。だから僕は1番にこだわる。そこで腐るのか、奮起するのか…。

――落選したことが、松下さんのやる気に火を付けたのですか?

 「絶対、見返してやる」と。もう僕はコンプレックスの塊だね!たとえば「スポーツ選手はバカだね」と言われたりすると、もうスイッチが入っちゃう(笑)。「スポーツ選手でも違うところを見せてやる」と。家が貧しかったから金持ちになりたい、卓球というマイナースポーツをメジャーにしたい、と常にコンプレックスがあった。

――五輪には4度出場。やっぱり特別な場所でしたか?

 本当に一番自分が目指していた大会。やっぱり最高峰ですよね。五輪に出るためなら選手生命を懸けてもいい。どうしても絶対に行きたい、と。そのためには絶対的な1番でないといけない。2番とか3番という日本代表に入るか、入らないかのポジションにいたらダメ。自分の評価は自分でするものじゃない。自分の評価は人がするもの。自分が「頑張っていますよ」と言っても、そんなものは何の役にも立たない。だから人から評価されるように頑張らないといけない。


コンプレックスやハンデには“マイナス”のイメージがつきまとう。物事を失敗したり、何かができなかったときには、“最高の言い訳”として使える。しかし、人は負のエネルギーでは成長できない。“頑張るための起爆剤”と発想を転換したクレバー&ハングリーな松下流を真似てみたい。

世界最高峰のドイツリーグへ移籍。きっかけは“ピンチ”

――97年8月、世界一の強さを誇るドイツのブンデスリーガ2部のプリューダーハオゼンへ日本人で初めて移籍。きっかけは所属企業からの解雇だったそうですね。
 
 腰が痛くて日本リーグの1試合に出られなかったとき、「そんな選手はいらない。たくさん金を払っているのに、一番大事な試合に出られないなら必要ない」とクビを切られた。一瞬は頭に来たけど、次の日にはケロッとしていたね。「そうだろうな。お金を出している人が一番偉いな」と納得していました。やっぱりお金を払ってくれる人の期待に応えられる人間にならないといけない。それがプロ。

――95年は全日本選手権優勝。96年アトランタ五輪ではシングルス16強、ダブルス8強入り。そんな好結果を出しながら解雇。納得できなかったのでは?

 良い経験をしましたね。解雇がなかったら今の僕はないかもしれない。良い給料をもらっていたから、そのまま日本でやっていたかもしれない。解雇があったから、「どこかへ行こう」ともっとすごく大きな視点で物を考えるようになった。ドイツのような厳しい世界でやったから、卓球人生も長くなった。実力もついて、世界選手権でメダルも取れた。海外とのつながりもできたから、今の仕事にも役立っている。解雇がなかったら……たぶん今の僕はなかった。

――自分にとって悪い出来事が、その先のチャンスへ転がる可能性がある?
 
 物事ってね、悪いことが起きてもやっぱり良い風に考えないといけないんだろうな。「これは自分のために起きているんだ」という風に考える。「もっとちゃんとしなさいよ」と戒めてくれている。解雇になって会社を訴える人もいるけど……はっきり言ってお金を出す人が一番偉い。その人が自分のことを「必要ない」と言えば去るしかない。必要としてくれるところへ行けばいい。

――新しい世界を開拓するとき、「うまくいかなかったら……」とマイナス思考になって、ためらう人もいます。

 失敗しても死にはしない。この日本では自分さえしっかりしていれば、何でもできるよ。やりたいという気持ちと、なりたいという気持ち。それさえあれば、何歳から何をやっても大丈夫。一回、何かを捨てちゃえば怖くない。僕は社員だった協和発酵を辞めた時点で保証は捨てている。今から全部失っても大丈夫。元が何も持っていないから失敗しても元に戻るだけ。たとえ商売で失敗して全てを失ったとしても、また一生懸命にやればいい。


人生で避けて通れない失敗や挫折。落選や誤解、別れやいじめ、けがや病気……不遇のときは、自分を否定された絶望的な気持ちになる。他人と関わることも嫌になる。それでも……客観的で多面的に物を見よう。次のチャンスが来ると願おう。松下は解雇されたおかげでドイツ移籍を実現させた。

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