野村克也の人生哲学「不器用な方が最後は勝つ」

情報提供:オリコンDD

野村克也氏が“人生のピンチ”で選んだ決断とは!? 【写真は共同】

 3017試合出場。野村克也は、プロの世界でそれだけの「勝ち」「負け」の判定を受けてきた。
 プロ野球界で歴代1位に君臨するこの大記録は“劣等感”から生まれたものだ。逆境や不遇のとき「仕方がない」と投げ出さなかった。逆に「ここで終わらない」と負けん気をたぎらせた。プラス思考で行動を紡ぎ、夢を手繰り寄せた。「弱者でも、方法論次第、考え方次第で強者を倒せる。それが野球だ」。その野球哲学は、実は名将の人生にそのまま当てはまる。
 弱者の戦法とは? “人生のピンチ”で選んだ決断に迫る。

母に楽をさせたかった。だから少年は「プロ野球選手」を目指した

――子どもの頃は貧しかったと聞きましたが。

 想像を絶する貧困の家庭で少年時代を送った。われわれの世代は物心がついたときから国は戦争をしていて、父親は戦死して母子家庭で育って……。オレが小学2年のときに母親が子宮ガン、翌年に直腸ガンと2年続けて……。そこからだよ、ウチがどん底に陥ったのは……。

――家計を助けるため、小学生の頃から新聞配達やアイスキャンディー売り、子守のアルバイトをしたそうですね。

 人間はいざ崖っぷちに立たされると、何でもできちゃう。貧乏はとにかくいやだと思った。「オレは大人になったら絶対に金持ちになってやる」と日々、そう思っていたね。

――プロ野球選手になって、子供の頃の苦労が役立ったことはありますか?

 いま考えるとね、プロ野球で生きていくための基礎作りを、もうそのときからやっていたということだよ。何がそのときの一番の財産かと言ったら、我慢強い、忍耐強い、持続性があること。やっぱり子供時代に身につけたことだと思う。人が我慢できないことを、オレは我慢できる。

――たとえばどういう我慢ですか?

 単純にバットの素振りにしても、毎晩宿舎の庭に出てバットを振るのは、みんな2月のキャンプのときだけ。3月に入ったらほとんど庭に出てこない。それをオレは続けられた。「野球の知識も何もないし、人の倍やるしかない」と。

――18歳の若さで「人の倍、やろう」と考えつくなんてすごいことです。

 人に追いつき追い越そうと思ったら、人と同じことをやっていたら、いつまでたっても追いつけない。単純な原理だ。子供でも分かる。年齢に関係なく誰でも考えるよ。ただ実行するかしないか。あと一歩の努力や。みんな並の努力はする。あと一歩やるか、あと一回、あと一時間やるかどうかが勝負。


 素振りは単調な反復動作だ。同じように、語学習得や業務作業といった「反復練習」も決して楽しくはない。これを続けてもいつ成果が出るのかは分からない。そもそも本当に成果が出るのかさえ分からない。そんな不安やいら立ちを覚えながらも、野村さんは自分自身から逃げなかった。選手、監督として成功した今、分かったのは「努力にはいつか成果がある」ということだった。結果を出してきた76歳の名将が振り返る言葉には説得力があふれている。

一つの場所でひたむきに頑張る。そこからチャンスは生まれた

――プロ野球・南海へテスト生として入団。でもドラフト入団した選手と一緒のチーム練習には参加できず、投手が練習するときに球を受ける“ブルペンキャッチャー”という仕事が与えられました。選手というより裏方の仕事ですよね?

 名前すら覚えてもらえなかった。「おーい、そこの壁」と呼ばれて…。「おーい壁、ちょっと球受けてくれ!」って。いやだったなぁ……。ピッチャーがどこへ投げてもボールを返すから「壁」だと。

――苦労してテスト入団したのに、1年後の19歳で解雇を言い渡されたとき、どう思いましたか?

「もう生きていく望みはない」と思ったな。「これから長い人生、オレ何をして生きていくんだよ」と……。野球以外できないし、勉強したことは忘れちゃっているから、いまさら入社試験を受けても受かるわけがない。母親はプロに行くのを反対していたし、帰るところもない……。お先真っ暗。あのときは本当に悩んだね。

――「故郷に帰れない。もしクビにされたなら南海電車に飛び込みます!」と泣いて球団マネージャーに頭を下げ、温情でもう1年契約延長してもらったときの気持ちは?

「思い切ってやって、思い切ってクビを切られてやる」と。悔いが残らないようにしようと思った。

――名もない高校生がプロテスト挑戦。クビを宣告されても粘る。なりふり構わない行動でチャンスをもぎ取ってきたと言えます。

 人間、追いつめられたら何でもできるよ。恥ずかしいとか怖いとか……、恐怖感も羞恥(しゅうち)心もなくなっちゃう。命って貴い。命がかかっているんだもん! そこで死を選ぶ人もいるんだろうけど……。せっかく生まれてきて人生1回しかないのにね。悔いが残らないように、やりたいこと、好きなことをやって一生を終えたい。追いつめられるとそう考えていたね。


「敗窮に勝機を知る」。野村さんはこの言葉を気に入っている。あきらめなければ活路は見出せる、という意味だ。その思いの奥には、野球を続けることを許してくれた母、テスト入団させてくれた球団への「感謝」の思いがある。そしてこの世に生まれてきたことに対する「感謝」がある。だからこそ、与えられた生をより良くまっとうしたいと願ってきた。

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