さらば、カンナバーロ
ディエゴ・マラドーナがナポリにやって来た時、カンナバーロ少年は10歳だった。つまり、彼がナポリの会員になったのは、ちょうどクラブの全盛期にあたる。この地方全域をまひさせた熱狂のシーズンだ。1986−87シーズンに最初の優勝を成し遂げた時には、まだ1人のファンにすぎなかったが、2度目の優勝の時はすでにアカデミーの選手になっていた。そのころのアイドルは“ピーベ”(マラドーナの愛称)ではなく、ラフなDFとして有名だったチーロ・フェラーラだったそうだ。93年3月7日、ファビオ・カンナバーロはナポリでセリエAデビューを果たす。アイドルの隣でプレーするようになったわけだ。しかし、すでにナポリの全盛期は終わり、マラドーナもいなかった。多額の負債を抱えるクラブは、クラブで最高の選手を売らなければならなかった。
95年、カンナバーロは当時、日の出の勢いにあったパルマへ移籍した。パルマラット社のバックアップを受けるパルマは潤沢な資金を持ち、スタープレーヤーを買い集めていた。カルロ・アンチェロッティ監督の要望で集められたのは、ブッフォン、テュラム、クレスポ、キエーザといった選手たちだ。ミランやユベントスに対抗できるほどの政治力は持ってなかったものの、パルマは国内カップとUEFAカップを獲得することに成功している。
98−99年のUEFAカップ決勝に勝利(3−0マルセイユ)する前、カンナバーロは彼のキャリアで最大のミスを犯している。アマチュアのカメラマンが撮影した写真が物議を醸した。ホテルの一室で、カンナバーロが腕に注射をしている写真だった。カンナバーロは通常のメディカル・トリートメントだと話しているが、これ以来、ドーピングのイメージがついて回ることになった。後に、撮影を許可したことについて、「唯一の後悔」と述べている。さらに疑惑に拍車をかけたのが2004年のユベントスへの移籍である。
インテルでの不本意なシーズンの後、ユーベでカンナバーロを待っていたのはテュラム、ブッフォン、そしてアイドルだったフェラーラというかつての同僚だった。そこでは、パルマよりもレフェリーも“親しげ”で、2シーズンで2つのタイトルを獲得する。後年、これらのタイトルは“モッジ事件”(カルチョ・スキャンダル)によってはく奪されるのだが、カンナバーロの活躍はその名を全国に知らしめた。
「ファビオはフェラーラと似ていて、DFとしてユニークな能力を有している。いつ何時でも、自らを犠牲にできるのだ」(マルチェッロ・リッピ)
06年7月9日は、カンナバーロのキャリアのピークだった。イタリアのキャプテンとして、W杯のトロフィーを掲げた。リッピ監督は、次のように語っている。
「プレーした7試合すべてで、彼はほとんどミスをしなかった。W杯のような舞台で、能力の高いアタッカーを相手にして、だ。わたしのキャリアの中で、あのようなハイレベルなDFは見たことがない」
もちろん、ティエリ・アンリのように異議を唱える者もいるだろう。アンリはカンナバーロのプロレスばりのラリアートによって打ち倒され、前半はふらふらの状態だったのだから。
チームメートのアンドレア・ピルロ、ジャンルイジ・ブッフォンとの争いに勝ち、カンナバーロは06年のバロンドールを受賞した。DFの受賞は珍しく、フランコ・バレージやパオロ・マルディーニさえ受賞できなかった栄誉を与えられたことになる。ドイツでの戴冠の後、カンナバーロは初めてイタリアを離れて、レアル・マドリーへ移籍した。しかし、その3シーズンではイタリア時代ほどのレベルを示すことはできなかった。ナポリのファンによると、弟のパオロの方が才能に恵まれており、ファビオの成功は運が良かったからだという。スペインでは運も味方せず、09年に“終わり”が近いと悟ったカンナバーロはユーベへ戻ったが、そこでドーピングテストに引っ掛かってしまう(後に、陽性反応が出たのはハチに刺されたせいとして、無罪となった)。
10年のW杯・南アフリカ大会では、ショッキングなグループリーグ敗退。カンナバーロのパフォーマンスは4年前とは雲泥の差だった。引退の時期は近づき、アル・アハリ・ドバイへ移籍することを決める。ドバイの方は、エジプトの強力なアル・アハリとは違って、UAEリーグ8位(10−11シーズン)のチームである。カンナバーロはカタールでもう1年プレーする予定もあったが、ひざの負傷によって引退を決意。奇しくも7月9日、5年前に最も美しい瞬間を迎えたのと同じ日だった。
プロとして19シーズンを過ごし、イタリア代表キャップは136! 多くの栄光と、甘美な思い出(90年W杯でイタリアvs.アルゼンチンのボールボーイを務めたのも、その1つだという)、そしてマルディーニ、ネスタ、フェラーラというイタリア守備陣が強固だった時代の一翼を担った自負とともに、ピッチを去ることになった。
<了>
※ポール・ギバルシュタイン氏による連載は、今回をもちまして終了となります。長い間、ご愛読いただきありがとうございました。
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