「特別な試合」で安藤美姫が成し遂げたもの=世界フィギュア・女子シングル
“ジャンプの天才”が厳しい練習で得た自信
安藤は世界選手権のプレッシャーの中でジャンプを次々に決めた 【坂本清】
今シーズンの安藤美姫は、オリンピック後から多数のアイスショーに出演し、並行して世界5カ国のリンクを拠点にストイックなトレーニングを重ねてきた。「もう、体に染みついてしまうほど」積み上げた練習を礎に、10月、グランプリシリーズの中国杯から2月の四大陸選手権まで、5戦4勝。内容的にも、5戦連続でフリーはほぼパーフェクトという高いレベルで、コンスタントな結果を残している。この充実した1年が、震災後の世界選手権という精神的に厳しい局面にも耐えられる、大きな自信をまずつけてくれた。
もちろん、4回転や最難度の3回転−3回転を幼いころからやすやすと跳んできた、ジャンパーとしての能力の高さも健在だ。充実した練習と確固とした自信を得て、ジャンプの天才はこれ以上ないくらいの力を発揮し、体力の落ちたフリーの後半にジャンプを5連続で跳ぶという脅威的なプログラムに、この大舞台でも挑んできた。あまりにも軽々とジャンプを跳んでしまう、この力が並ではないことは、世界選手権という大舞台になるとより強く実感できる。世界のトップスケーターたちが「シーズン最後の試合」のプレッシャーのなか、簡単なジャンプさえ跳び損なう一方、安藤美姫は軽々と美しいルッツを後半に跳んでしまうのだから。
「自分の大変さなんて、すごく小さなこと」
いったいどんな気持ちでプログラムを滑っているのかを選手たちに聞けば、「ほとんどはジャンプのことを考えています。あとはなるべく下を向かないこと。ジャッジと目を合わせること」だったり、「ジャンプが跳べればうれしくて、自然に笑顔になっちゃう」だったりする。成功できるか否か、最重要のエレメンツのことを、試合の場で彼らが忘れ去ることなどできない。しかし安藤ほどの天性のジャンパーとなれば、ジャンプのできを気にしながらプログラムを滑ることは、ほぼないのだという。今回のように3回転−3回転を3回転−2回転に、2回転半−3回転を2回転半−2回転に難度を落としてしまえば、ジャンプを怖がる必要など何もない。その代わり彼女は、「伝えたい思い」を常に心に抱きながら、プログラムを滑ることができるのだ。
「日本ではまだまだたくさんの人が、悲しい思い、大変な思いを抱えていらっしゃいます。それに比べれば自分の大変さなんて、すごく小さなこと。試合に向かう不安な気持ちはあったけれど、日本の方たちのつらさを考えたら、自分のつらさなんてちっぽけだ、と思ったら……すごく強い気持ちがわいてきたんです。だから今日の自分の演技を見ていただいて、ひとりでも多くの人の笑顔が戻ったらいいな、と思いながら。日本のことを考えながら滑りました」
安藤が見せた「思いを形に変える力」
「特別な試合」と語った世界選手権で4年ぶり2度目の優勝を遂げた 【坂本清】
そんな安藤美姫のフリー「ピアノ協奏曲」は、誰よりも強く見る者の心に訴え、震災で亡くなった人々への鎮魂歌となった。こんなに「思い」を美しく形に出来るスケーターはいない。安藤美姫ほど、レクイエムが似合うスケーターはいないのだ。
日本で屈指の人気を誇るスポーツの、トップアスリート。彼らが「日本のために」「被災者のために」できることのうち最上のものを、安藤美姫は見せることができた。自分の果たすべき役割が分かっていても、果たしたい思いがあっても、技術、努力、精神力、すべてそろっていなければできないことを、この局面で成し遂げた。
同時に安藤美姫は、彼女がアスリートとして本物であることを、世界中に知らしめてしまった。
<了>