ナポリのサプライズ
セリエCでも、毎試合スタディオ・サンパオロ(ナポリの本拠地)には5万人の観衆が入っていた。他の試合はせいぜい500人である。マラドーナの黄金時代の後、ナポリは97−98シーズンに財政破たんしていた。33年ぶりにセリエBに落ちたのは、この財政上の理由である。さらに財政の悪化は止まらず、04年にはセリエCまで落ちてしまった。アウレリオ・デ・ラウレンティスが会長に就任したのは、その時期であった。
イタリア映画界では最も有名なプロデューサー、ディーノ・デ・ラウレンティスのおいっ子にあたるアウレリオもまた、映画界の人だ。しかし、彼と家族は皆ナポリっ子であり、それを証明する機会を待っていた。彼は恥ずかしげもなく、自分は全くフットボールを知らないと公言しているが、有能な会長であるのは間違いない。
5年でセリエCからAへ昇格し、5年でヨーロッパの舞台に戻ると会長が言った時、人々は笑っていたが、ナポリは3年でセリエAにカムバックし、4年でヨーロッパリーグの舞台を踏んだ。それだけでなく、ナポリは毎年負債なしだった。
「わたしは100本もの映画を制作してきた。一度も赤字を計上したことはない。ナポリの会長になるや、わたしは映画制作と同じ手法をとった。赤字を黒字に転化したのだ。つぎの5年間のミッションはチームの構築だ。バルセロナのような強力な不変のチームを作ることだ。バルサは新しいメッシを買おうとはしない。レアル・マドリーはそうしているが」(デ・ラウレンティス会長)
フットボールの経験はないが、この会長にはインスピレーションがあるようだ。2年前、エディンソン・カバーニと契約したのは彼だった。周囲の人々は、カバーニはナポリでプレーできるほどの選手ではないと助言したが、デ・ラウレンティスは反対を押し切って契約した。結果は、すでに誰もが知る通りだ。
以前、会長はナポリ出身のプレーヤーを呼び戻そうとしていた(ファビオ・カンナバーロ、マルコ・ボリエッロら)。だが、元ナポリの選手たちはオファーを断り、北イタリアのトップクラブにとどまる選択をした。何人かは今、ナポリへの復帰を考えているようだが、すでに時は過ぎ、もう彼らが戻ってもプレーできる保証はない。
「わたしは何年もの間、偉大な映画監督や俳優と仕事をしてきた。ライバル会社は彼らの引き抜きを試みたが、われわれには契約書があった。フットボールの世界では、わずか2ページの契約書だが、わたしは違う。ショービジネスと同様の分厚い契約書を作っている」
ナポリは既婚者とハードワーカーの選手を集めている。チームスピリットを保つためだそうだ。一方、会長はナポリを題材にした映画制作をディズニーに持ち掛けたり、アプリリア社と組んでスクーターを開発するなど、マーチャンダイジングにも力を入れている。
ピッチ上のグッドアイデアは、ウォルター・マッツァーリ監督の起用だ。元フィオレンティーナの選手で、15ポイントものペナルティーを科せられたレッジーナを降格から救った監督である。才能はあるがクレイジーなアントニオ・カッサーノ(現ミラン所属)をサンプドリアで再生させた実績もある。モチベーション・マスターとして知られるマッツァーリ監督は、攻撃的な3−5−2システムをナポリに導入、ラベッシとハムシクを経由して変化のある攻撃を構築している。
しかし、何と言ってもエースはカバーニだ。すでに45試合で33ゴールをゲットし、ほとんどの得点は、決勝点や大事な場面でのゴールという勝負強さが光る。20年前のディエゴ・マラドーナがそうだったように、カバーニはもう街中を歩けない。ただ、クラブ通いの夜の生活とは無縁で、バード・ハンティングと釣りが趣味という静かな男である。
ナポリはミランをとらえての逆転優勝は無理かもしれない。しかし、南の街に魔法の瞬間は訪れている。来季に向けての準備は、すでに整っている。
<了>
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