テリーの代表キャプテン復帰と悩ましい余韻=東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

愚を犯したカペッロ

テリーのキャプテン復帰に際し、カペッロ(左)には配慮に欠けていた部分がなかったか 【Getty Images】

 JT復帰の最終結論を、ファーディナンドやジェラードに個別に説明する前に、公にしてしまったのだ(それが、たとえ一部メディアの突っ込んだ取材や“リーク”によるものだったとしても)。かくして、カペッロは公式に結論を認めた後の3月15日、チャンピオンズリーグ・ユナイテッド−マルセイユ戦を訪れ、その機会を利用して予定していた面談の約束を、ファーディナンドから一方的にすっぽかされてうろたえることになる。
 しかも、カペッロはさらなる配慮のなさを露呈してしまう。ファーディナンドが“約束”を破って(オールド・トラッフォードに)姿を見せなかったことについて、「なぜなのか、さっぱり分からない。理由を教えてほしい」と、メディアに問返す愚を犯したのである。

 人によっては、このファーディナンドのナイーヴさに眉をひそめ、そんなことではどのみちキャプテンの重責を務められないだろうに、とあきれ果ててしまうかもしれない。だとしたら、そこで彼らは「そもそもの背景」をうっかり忘れてしまっていることになる。 テリーのキャプテンシーはく奪は何ゆえに行われたのか。名誉ある代表キャプテンの品格にふさわしからざる“事件”が明るみに出てしまったからだ。

 むろん、ファーディナンドとてそのスキャンダルを哀しみ、ある種の同情こそすれ、テリーの資質に疑いを持つまでには至らなかっただろう(と信じる)。しかし、だからこそ「テリーでなければ君だ」とカペッロの信頼を受けた彼の決意と心情は、並々ならぬものがあったはずだ。しかも、南アフリカでは直前の故障に泣き、その後もなかなか全快に至らないままにさっぱり貢献できず、忸怩(じくじ)たる心境にあった。そんなところへさっさと「やっぱりテリーしかいない」と、事実上切り捨てられてしまった(に等しい)。
 そんなことを言っても、当人が故障で出場できそうにないのだとしたら仕方がないじゃないかって? 筆者も心の一部ではそう思う。カペッロだって悩み抜いただろう。彼はファーディナンドをこう諭したかったに違いない。「君が万全の状態なら何もこんなことはしない。しかし、君も(副キャプテンの)ジェラードも出られない現状では、テリーに任せるのが最善の策なんだ。分かってもらえると思う」

イタリア人には英国人のメンタリティーを理解し切れない?

 そう、それで(たぶん)問題はなかった。ファーディナンドも納得しただろう。もし、その言葉を公式発表の前に聞いていたら。そして「君が戻ってきた時にはあらためて、考えさせてもらう。このままJTで固定すると決めたわけではない」と言われていたら。
 なぜなら、スリー・ライオンズの主力メンバーのほぼ全員が“その言質”を予期していたらしいからだ。電話でカペッロから説明を受けた(電話で? ここにもカペッロの配慮の乏しさがなかったか?)ジェラードは、さりげなくその“割り切れなさ”を示唆した。
「JTがキャプテンに復帰することには何の異論もない。監督がそう決めたのであれば、われわれは従うのみ。ただ、リオの気持ちを考えると(少々引っかからないではない)……」

 ユース時代(ウェスト・ハム)の僚友、ジャーメイン・デフォーの思いやる気持ちはもっと強い。「これでリオ(の代表キャプテン)が“終わった”とは思いたくない。たぶん、ぼくら(代表メンバー)全員が同じことを考えていると思う。もちろん、当面はみんな監督(カペッロ)の決断に100%従う義務があるわけだけれど……」
 デフォーが言葉を濁した“その先にあるもの”を想像せずにはいられない。南アフリカ直前以降のテリーの「どことなく牙が欠けたようなパフォーマンス」は、現実にピッチで肌を接している誰しもが感じているに違いないのだ。あれからのJTには、明らかにスキャンダルの後遺症の影が見て取れる……と。そして、いずれ「ハリー・レドナップ代表監督」が実現した時、その愛弟子リオ・ファーディナンドにキャプテンマークが落ち着くのが、ごく自然な「心を一つにできる」成り行きなのではないか、と。

 大半はあくまでも筆者の感触だとお断りしておく。そのリーダーシップとキャプテンの資質について、今でもテリーに何ら疑いを抱いていない数多の同輩・同僚も、こと代表に関しては「別の意見」に傾いている。おそらくは、カペッロが勇退を決め、レドナップが次期代表監督にほぼ固まりつつあると分かった時点から、心の半分は「2012年の盛夏以降」に飛んでしまっている。来夏のユーロ本大会はその“有意な架け橋”なのだ、と。

 今回のウェールズ戦とガーナ戦を通じて感じざるを得なかった、どこか淡白で割り切ったようなむずがゆさ、歯切れの悪さには、そんな遊離した心情が半ば無意識に働いたせいだったような気がする。そして、ファーディナンド同様、テリーの複雑な心理も思いやられるばかりだ。それでも“チーム”は前進していかねばならない。今般の大震災に際し、いち早く安否を気遣う温かいメールを、今も絶やさないでいてくれる筆者の旧友たちが住むイングランドとて、紛れもなく「一つのチーム」なのだから。ちなみに、そのうちの1人がさらりと書き添えていた一文をご紹介しておきたい。
「やはり、イタリア人にはわれわれのメンタリティーを理解し切れないのかもしれないね」

<了>

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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