被災地のクラブ、水戸が背負うもの=「復興」のシンボルになるために

佐藤拓也

本間「何があっても茨城にいたかった」

ボランティア活動に励む本間(中央) 【佐藤拓也】

 とはいえ、リーグの再開が決まり、サッカークラブとして前に進まないといけない。その中でクラブが第一歩として選んだのがボランティア活動であった。震災後、クラブは茨城県社会福祉協議会に災害ボランティアとして登録。3月23日、水戸市内の体育館で支援物資の仕分け作業の手伝いを行うこととなった。参加したのは沼田社長とフロントスタッフ5人、そして選手で唯一水戸に残っていた本間幸司だけであったが、「町とともに生きる」水戸としての姿勢を打ち出せたといえるだろう。

 参加した本間は茨城県日立市出身で、JFL時代から12年間水戸のゴールを守り続ける“水戸の魂”とも言える選手だ。生まれ育った茨城に対して、「何があっても茨城にいたかった。こういう状況で水戸の空気を味わっていたかった。そこから得られるものがあるんじゃないかと思っていた」と、強い思いを持っており、震災直後から「もう練習している場合ではないと思い、チームメートと『自分たちに何ができるか』と話し合っていた」という。そしてこう語る。
「今までも茨城で生まれ育った自分が茨城でプレーする意義があると考えてきたけど、より強くなったというか、震災の被災地となった茨城のために何ができるか、そればかりを考えています。自分はサッカー選手なので、震災で苦しんでいる人たちに何かを与えられるようなプレーをしないといけない。それと同時に、ボランティア活動などを続けていくことが大事だと思っています。水戸は水戸の町とともにあるチーム。それを忘れてはいけないとあらためて思いました」

水戸は「復興」への希望の光とならなければ

開幕白星を挙げた水戸。柱谷監督のもと復興のシンボルとなるようなプレーを見せられるか 【佐藤拓也】

 むしろ、この状況は水戸にとってチャンスといえるだろう。これまで水戸はなかなか地域に根付くことができず、昨年も観客動員数はJ2・19チーム中18位とリーグ屈指の“不人気”チームであった。だからこそ、この機会に地域の復興のために何ができるか。それによって市民からの見る目が劇的に変わる可能性を秘めている。復旧の進まない大洗町などに積極的にボランティア活動に出かけることで地域からの理解が得られるはずだ。
 また、リーグ再開後のプレーも期待されている。今季の開幕戦で昇格候補の京都サンガを撃破。昨季の主力がこぞって抜けたものの、柱谷哲二新監督のもと、若い選手たちが躍動し、見る者に大きな希望を与えてみせたのである。“闘将”柱谷監督がチームコンセプトとして掲げる「90分走り続けるサッカー」を貫くことができれば、「復興」への希望の光となれるかもしれない。

「みんながなかなか明るい気持ちになれない中で、僕らがこの町に笑顔を取り戻さなければならない。そのためには必ず感動を与えるプレーをしないといけないし、プレーでメッセージを伝えられるようにしていきたい」
 クラブが経営難であることを感じさせないくらい本間は目を輝かせながら語った。
 チームは28日に練習再開予定。“茨城のために戦う”というチームの進むべき道は明確となっており、「みんな同じ思いを持って水戸に戻ってくるはず」と、本間は期待を寄せている。今まで以上に熱い気持ちをピッチの上で見せてくれるに違いない。

 今回の大震災でクラブは経営的に多大なる被害を受けた。オーバーではなく、このまま危機的状況に陥っても決して不思議ではない。むしろ、その可能性の方が高いといえるだろう。しかし、もし水戸がこの苦境から立ち上がったならば、その時こそ本当の意味での「復興」のシンボルとなれるはずだ。このまま震災で倒れるわけにはいかない。震災から立ち上がる町とともに水戸は戦い続ける。

<了>

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著者プロフィール

1977年7月30日生まれ。横浜市出身。青山学院大学卒業後、一般企業に就職するも、1年で退社。ライターを目指すために日本ジャーナリスト専門学校に入学。卒業後に横浜FCのオフィシャルライターとして活動を始め、2004年秋にサッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊に携わり、フリーライターとなる。現在は『EL GOLAZO』『J’s GOAL』で水戸ホーリーホックの担当ライターとして活動。2012年から有料webサイト『デイリーホーリーホック』のメインライターを務める。

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