アクシデントを乗り越え、強くなった安藤美姫=フィギュアスケート・ロシア杯

青嶋ひろの

負傷の影響で出遅れ、フリー当日の朝には涙も

ロシア杯で優勝した安藤。痛みに耐えながらも大きな結果を残した 【森美和】

 安藤美姫(トヨタ自動車)、直前の練習で負傷――。
その一報を取材陣が得たのは、ショートプログラム2日前。安藤本人ではなく、周囲の関係者からの情報である。当然、その後の取材では本人にケガについて質問することになり、「言い訳になってしまうけれど」と、安藤は不本意ながら現在の状況を説明してくれた。
 公式練習ではなく、モロゾフコーチチームの選手たちとモスクワのリンクでしていた練習中、安藤の曲かけ時間に男子選手と激突。強い衝撃を背中から腰にかけて受け、氷の上で大きく跳ね飛ばされた。直行した病院での診断結果は、肉離れ。
「軽い肉離れで、ドクターストップまではいっていません。薬を飲んだので痛みはないけれど、体にうまく力が入らないので、ジャンプを降りたときに腰が立たない……」
 2007年世界チャンピオン、安藤美姫。しかしこれまでの彼女は、何度も何度もケガに泣かされてきた。06年の全日本選手権フリーでは、肩を亜脱臼して演技を中断。08年世界選手権では、ふくらはぎの痛みのため、フリーの途中で棄権。世界チャンピオンの称号を持つにもかかわらず、痛々しいシーンをどうしても思い出させてしまう、弱いイメージが彼女にはある。
「はい、自分は精神的に弱い選手だと思います。今回もケガのこと……もちろん少しは気になります。でも、試合には出る! って決めたので、きちんとケアをしながらこなしていかなければ。これはきっと、乗り越えなければいけないステップです。この試合を乗り切ったら、きっと少し、ひとまわり強くなれると思うから」

 しかしショートプログラムでは、中国杯で挑んだ3回転ルッツ−3回転ループが「いい具合に力が入らず」3回転−2回転に。単独のフリップも回転不足、腰の負傷の影響でレイバックスピンもレベル1。ほぼノーミスの鈴木明子(邦和スポーツランド)だけでなく、アメリカのアグネス・ザワツキー、アシュレイ・ワグナー、ロシアのソフィア・ビリュコワといった若手選手が3回転−3回転を決めたため、まさかのショートプログラム5位スタートとなる。
「悔しいです。今シーズンはいい練習を積んできたのに。ルッツ−ループの調子も、ケガをする前まではすごく良かったのに。ケガがなかったらどんな演技ができただろうって、どうしても考えてしまう……」

 ショートプログラム終了時点、「ケガに負けた」これまでの安藤の姿が脳裏をよぎったのは確かだ。翌日朝の公式練習でも、不安そうな、今にも泣き出しそうな表情をしていて、「これはダメかもしれない……」と思った。安藤がこのまま気持ちを立て直せなければ、勢いのある若手たちがまたフリーで3回転−3回転を決めれば……表彰台にさえ届かない可能性もある。せっかく1戦目の中国杯で優勝したのに、ファイナルを逃す可能性だって高い、そこまで考えてしまった。
「きょうもすごく悔しい思いで会場に入りました。日に日に腰に力が入らなくなっていくことが、不安で不安で……。ホテルの部屋でお化粧する前、久しぶりに大泣きしてしまったんです」

子どもたちからの声援を力に、クリーンな演技で逆転

 ところが、フリー。リンクサイドで時間をかけて集中し、気合いの入った表情で登場すると、前日よりもやわらかく質のいい3回転ルッツ−2回転ループをまず成功。後半に5連続でかためたジャンプも、想定していた最高難度ではなかったものの、すべてクリーンに着氷。途中からはもう、見ていて失敗する気がしなくなるほどの「強い安藤美姫」だった。また見せるパートでも、本来の力強さこそなかったものの、音楽をしっかり聞きながらしっとりと女心を表現。5連続ジャンプに集中していた中国杯よりもずっと、自身の感情をうたいあげる安藤美姫の味わいが出ていた。直前まであんな表情をしていたのに、ジャンプでも、演技でもここまでできるのか……。この日の氷の上にいたのは、「ケガに負ける美姫」ではなく、「世界チャンピオンの美姫」。文句なく、喝さいを送りたい気分になった。
 結果、ショートプログラム5位からフリー1位、総合1位の逆転優勝。直前のあのコンディションから、あの表情からはとても予想できなかった順位だ。いったい何が、今日の彼女をこんなにも強くしたのだろうか?
「今回は何よりも、お客さんの声援が力になりました。ロシアの方ももちろん、日本からもすごくたくさんの方が応援に駆け付けてくださって、バナーもたくさんはってくださった。どんな時でも自分はひとりじゃないなって、思えたんです。なかでも一番力になったのは、モスクワに住んでいる日本人のちっちゃな子どもたちの声援です。6分練習ではコチコチに硬くなっていたのに、『美姫ちゃん、がんばれ!』って、高くてよく響く声が体をほぐしてくれて、気持ちをリフレッシュさせてくれた。あのたくさんの声援がなければ、きっとダメだったと思います」

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著者プロフィール

静岡県浜松市出身、フリーライター。02年よりフィギュアスケートを取材。昨シーズンは『フィギュアスケート 2011─2012シーズン オフィシャルガイドブック』(朝日新聞出版)、『日本女子フィギュアスケートファンブック2012』(扶桑社)、『日本男子フィギュアスケートファンブックCutting Edge2012』(スキージャーナル)などに執筆。著書に『バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート 最強男子。』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』(角川書店)などがある

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